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「実力も運のうち、能力主義は正義か?」読書メモ

こちらの本の読書メモです。
結構読みにくい部分もあり、なかなか読むのが大変でしたが、なるほどー、と思える部分も多くあり、良い学びになりました。

この本を読むような人は、日本においてもエリートであるような人が多いのでしょうが、そういった人たちがブルーカラー(古い言葉ですが)やいわゆる大衆の人たちを無意識に下に見ていないのか?(自分の含めて)そういった土壌ができてしまっているのだとしたら、気をつけて行かないと社会の分断をますます加速させてしまいそうです。

まとめられるほど理解もできていない気もしますが、この本の内容を自分の理解で言うならば、
「一見、公平に見える能力主義(階級とかよりその人の能力次第でのし上がれる社会)は、本当に良いものなのか?教育環境なども影響するし、たまたま幸運だったと思えないと、ますます驕る気持ちが出るし、人を見下すようにもなる。そして、その社会でのし上がれない人は卑屈になり、社会内での分断はますます大きくなってしまう」ということをアメリカの事例やデータなどを踏まえながら説明している本、だと思いました。

一見、フェアで良さそうなものですが、そんな単純なものでもなく、また弱者を置いていってしまうような危険性を多くはらんでいる社会のあり方になってしまっている、と。アメリカ追従型の日本でも、今後これがより大きな問題にならないか心配です。

解決策は、Amazonレビューの人が良い言葉を使っていましたが、謙虚、寛容、そういった心持ちが重要なのだと感じます。

日本人(日本文化)は『実るほど頭を垂れる稲穂かな(人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ)』という心構えが美徳とされてきたように、日本の文脈においては共同体への感謝を再確認した気持ちとなりました。ーアマゾンレビュー抜粋

良い言葉ですね、こういった謙虚さ、持っていきたいものです。

あとは、気になった文章などの抜粋などのメモです。

不平等が増すにつれ、また大学の学位を持つものと持たない者の所得格差が広がるにつれ、大学の重要性は高まった。大学選択の重要性も同じように高まった。
子育てのスタイルも、とりわけ知的職業階級で変わった。所得格差が広がれば、転落の恐怖も広がる。この危機を回避しようと、親は子供の生活に強く干渉するようになった。ー子供の時間を管理し、成績に目を光らせ、行動を指図し、大学入学資格を吟味するのだ。

やはり教育と医療に関しては、市場に任せる。というのは適していないのでは?と改めて感じます。大学の学費の高騰、富裕層の割合が多い生徒(中には裏口入学などもあるが、そもそも教育環境を整えられるのが富裕層中心)

不平等な社会で頂点に立つ人々は、自分の成功は道徳的に正当なものだと思い込みたがる。能力主義の社会において、これは、勝者は自らの才能と努力によって成功を勝ち取ったと信じなければならないということだ。

その結果、能力主義社会での副作用も大きいです。

「超一流大学や高収入の職業を目指すアメリカの上位中産階級の若者」は、そうでないティーンエイジャーよりも精神的問題を抱える割合が高く、その傾向は大学入試後も続くというものだ。
能力主義的な至上命題、すなわち「がんばれ、結果を出せ、成功せよ」という絶え間ない圧力。
子供にとっても親にとっても、幼い頃から至る所に多く掲げられてきたメッセージを無視することはほとんど不可能。つまり究極の幸福に達する道はただ1つ、金持ちになることで、そのためには一流大学に進学せよ、というメッセージ。

強烈ですね。。。そんなハズないのに、それ以外ないような状況に。

公正な能力主義(社会的地位は努力と才能の反映であるとするもの)の創造を執拗に強調することは、われわれの成功(あるいは不成功)の解釈の仕方に腐食作用を及ぼす。そのシステムが才能と勤勉に報いをもたらすという考え方は、勝者をこうそそのかす。つまり、彼らの成功は彼ら自身の手柄であり、彼らの美徳の尺度だと考えるようにーそして、彼らよりも運に恵まれていない人々を見下すように。
勝者は自分たちの成功を「自分自身の能力、自分自身の努力、自分自身の優れた業績への報酬にすぎない」と考え、したがって自分より成功していない人々を見下すことだろう。出世できなかった人びとは、責任は全て自分にあると感じるはずだ。

実際は、そうじゃないとしても、そう思わなければならない。そうしないと、自分の中での整合性が取れなくなってしまうのでしょうか。システムがそそのかす、という表現がいいですね。

新しい経済のもとでうまくいかなかった人々が、勝者に軽蔑のまなざしで見下されていると感じる理由を問う必要がある。
能力主義は、勝者の中にはおごりを、敗者のあいだには屈辱を育まずにはおかないからだ。

これらの人たちの声のアウトプットがトランプ現象やブレグジットだ、と。

階級社会は、上流階級の自己愛にブレーキをかけ、労働者階級が自らの従属的立場を個人的な失敗と考えずにすむようにしていたのだ。

面白いのは、階級社会だと、労働者も成功しないのは自分のせいではなく、身分制のせいと思え、上流階級も成功したのは自分の能力のおかげではなく身分のおかげ、と思えるので調子に乗らないというメリットがある、と。(もちろん良くない部分も多々ありますが)

「繁栄の福音」の考え方は、繁栄が救済のしるしだとすれば、苦難は罪のしるしである、と。こうした論理は、人間の自由を束縛のない意志の実践と考え、人間には自分の運命に対して徹底的な責任があるとするあらゆる倫理の特徴なのだろう。

「繁栄の福音」一言で言えば、「神は健康と富を正しい信仰の持ち主に与える」と信じる宗教だそうですが、アメリカのプロテスタントも懸命に働いて神から与えられた使命を全うすれば天国に行ける、というものだとすると、努力した成功者=天国行き、努力してない落伍者=天国行けず、という自己責任論は強くなりそうですね。

自己責任という厳しい考え方は、やる気を奮い立たせるように思えるものの、連帯と相互義務の感覚を芽生えにくくもする。
努力しよう、やってみよう、そして通常の意味で賞賛に値する存在になろうという意欲さえ、それ自体が恵まれた家庭や社会環境に左右される。
-ジョン・ロールズ

現代で浮かび上がっている問題は、教育環境が整っているかどうかでかなり差がつく(努力うんぬんだけでは届かない)ということと、結構な知識・知能レベルがないと役に立ちにくい世界になってきている。ということでしょうか。

字が読めればとか、最低限これがあれば、で食べていける世の中じゃなくなっちゃっていて、今の世界で役立つスキルを得るには、かなりな教育環境と、結構な知能レベルがないと役に立てず、そこに入れない人が多数になっている状態ですね。

不平等が蔓延し、社会的流動性が停滞する状況の下で、われわれは自分の運命に責任を負っており、自分の手にするものに値する存在だというメッセージを繰り返すことは、連帯をむしばみ、グローバリゼーションに取り残された人々への自信を失わせる。

この自己責任論がそもそも自信がなかった人の心を砕きますね。

成功している側が、自らが占めている有利な立場から申し渡す道徳的判決なのだ。知的職業階級は手にした学歴によって定義されるため、彼らが大衆に向かって、あなたが必要なのはいっそうの学校教育なのだと語るたび「不平等は制度の失敗ではない。あなたの失敗だ」と言っていることになる。
能力主義社会のメンバーの中には自分自身の価値に陶酔するあまり、彼らが統治する人々への共感を失ってしまうものがいることだ。

結局、リベラルであるヒラリークリントンもオバマもそういった弱者の気持ちを考えられず、その人たちが消去法でトランプに投票したという側面もありそうです。

能力主義社会が公正だとしても、それは善い社会ではないのではないか。
こうした社会は勝者の間におごりと不安を、敗者のあいだに屈辱と怒りを生み出すだろう。こうした態度は、人類の繁栄と対立し、共通善を腐食する

いやー、サンデル先生さすがですね。公正と善い社会はまた別。

たまたま社会が評価してくれる才能を持っていることは、自分の手柄ではなく、道徳的には偶然のことであり、運の問題なのだ、と。
ーフリードリヒ・ハイエク

エリートがこのことを認識していかないといけないですね。たまたまよ、と。

労働は経済的であると同時に文化的なものだ。生計を立てる手段であると同時に、社会的承認と評価の源でもある。

この指摘も重要だと思います。これが、ジョブ型とか非正規とかだと承認を得られず、世界に置いていかれた感を感じてしまうと、絶望死とかにも繋がりやすい、、、と。

彼らが直面し遅れたのは、時代から取り残されることだ、自分が暮らす社会は、自分が提供できる技能をもう必要としていないようにみえたのだ。

この世界に触れているといった手触り感、これがないと辛いですね。

経済的困窮と文化的排除が織りなす物語。ラッセル・ホックシールド
経済面での進歩は難しくなり、「一握りのエリートに限定」されるようになった。下位90%の人たちにとっては、アメリカンドリームの実現装置は「停止してしまった。原因は、自動化、海外移転、労働者に対する多国籍企業の力の強大化である。同時に、それら90%の人々に関しては、白人男性とそれ以外のすべての人たちのあいだで、仕事や承認や、政府からの補助金を得るための競争が激しくなっていった」さらに悪いことに、アメリカンドリーム実現のチャンスを列に並んで辛抱強く待っていると信じていた彼らは、前方の割り込みに気づいた、割り込んできたのは黒人、女性、移民、難民である。彼らは、割り込み組とみなす人々(アファーマティブアクションなど)に反感を抱き、割り込みを咎めない政治的指導者に怒っていた。

長い引用ですが、わかりやすかったです。経済的にもキツくなってきて、世界から置いていかれた感もあって、トドメに移民、黒人、女性に列に割り込まれたように感じた白人労働者層、それはツラいですよね、、、

締めにサンデル先生はこう言っています。

われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた。」そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ。

まずは、しっかり自分の幸運に感謝し、社会に対して謙虚に寛容な気持ちを持って生きていくことが本当に大事ですね。







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