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「なんのために働くのか?」と思ったら。

僕は働くのが嫌いなわけではないのですが、すごい好きでもなく、「なんのために働くのだろうか?」とふと考えてしまうようなめんどくさいタイプだと思っています。

くつろぐのが好きであり、不安や煩わされることもなく、気兼ねなくくつろげる状態を目指しつつ、経済成長をやり切った日本では、そんな人が増えたら良いなと思っています(どう考えてもマジョリティにはならないし)

「働くことの人類学」に出ていた文章から気になった部分抜粋です。

「なんのために働くのか?」という質問の前提には「働く」って結局は何かに到達するための手段で、「将来、、、があるからその目的のための手段だから我慢しなさいね」みたいなニュアンスがある。
モンの人(先住民の人たち)は、「いま、私がどういう人でありたいか」を考える。

「働くことの人類学」より

これはまだ豊かではなかった日本においては働くための強い動機ですし、頑張れます。ただ、成熟した日本において、将来のために今を犠牲にする働き方はもうしなくて良いのではないだろうか、、、そもそもこれ以上の豊かさってなんだろう、、、もう物質的な豊かさではなく、心の豊かさに行くべきなのでは?それには多くの人がクツロギストを目指すのが良いのでは?

そう思っている今日この頃です。

そうは言ってもお金がないとくつろげない、というのも分かるため、どうやったらバランス良くくつろげるのか、自分にとって最適なくつろぎ状況を探究していきたいです。

みんなが働くことに大半の時間を使うことになって、余暇の時間が「ジムで30分トレーニングする」とか「Netflixを1時間だけ見る」とか細切れになって、結果としてライフが消失した。ライフというのは、朝から友人の恋愛話に付き合っているうちに夜もふけてしまう、とか、そういうこと(デビッド・グレーバー)
そういう時間が今は贅沢なものになってしまっている。

「働くことの人類学」より

ブルシットジョブの著者でアナーキストのデイビッド・グレーバーの言葉です。コロナ禍もあってのキャンプ流行りみたいなのは、こういったライフを取り戻そう、そうありたいと思う現象なのかもしれないですが、そのキャンプをするにもお金や装備が必要で、そのためにまたストレスを抱えながら働いてしまっては、元も子もない、、、

こういった話題は明確な答えなどでるはずもなく、ぐるぐる回ったりしてしまうのですが、今のところの最適解はだいたい一緒になってしまっています。

「資本主義のパワーをうまく活用しつつ、そこから離れても平気な準備をしながら自分にとっての寛ぎ方を模索する」です(来年は全然違うことを言っているかもしれないですが)

具体的には
①株式投資などお金を使ってお金を増やすことはしっかりやる(資本主義パワーの活用)
②エネルギーや食べ物の一部自給を目指したり、そういった人との繋がりの強化(コミュニティ・相互扶助といった感じ)
③くつろぎ方を深める(読書・ヨガ・興味の深掘り、考えたり話したり)

なかなかできていないのですが、もっと今を大事に生きることができたら人生は充実するのだろうなとわかってはいるのですが、できていない。。。

「今を生きる」ことをしようとしても「今日もいつも通り過ごしてしまった。。。それも今を生きるということか」ぐらいに自分にも寛容に、他人にも寛容に寛ぎ方を探しています。

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