くつろぎながら生きていくための自立
くつろぎながら生きていきたい。どうすればもっとくつろげるのか。
くつろぎながら生きるのは、当たり前ですが、自分の意思でそうしたいと思っています。
そうなると、
①自分の意思としてくつろぎたいと思っていること。
②その意思を邪魔する外部からの干渉を排除(削減)していくこと。
が必要になります。
くつろごうと思って日々過ごしていますが、くつろぐのも簡単じゃあないというのも感じています。
くつろぎたい。というのは明確に自分の意思なので、それを通していくためには、自立している必要があります。親の庇護下にいたり、会社に全て委ねているような状態では、くつろげません(僕は)。親の気分や会社次第で状況が大きく変わってしまう状態ではくつろげません。
そうなると、自立していて、なおかつ自由であることが必要になってきます。でも、この自立と自由というのはなかなか結構大変なものなんだなとも感じます。
自立というものを考えた時に、大きく経済的な自立と精神的な自立があるのかな、と考えました。
経済的自立は分かりやすい部分で、くつろげるためのお金があること、会社などに依存しなくても大丈夫な状態、嫌な仕事は引き受けなくても問題ない経済力、などでしょうか、FIREのFIの部分ですね。
これは自由で言うと、「〜からの自由」(消極的自由)に当てはまります。
経済的に自立していれば、くつろげないような嫌な事柄を排除できます。
もう1個の精神的な自立の方がやっかいなような気がします。
これは自由で言うと「〜への自由」(積極的自由)でしょうか。
自己実現であるとか、そういったものなのですが、僕はそういった大志がなかなか持てていないので、それがくつろいで生きる。という非常に小ちゃいところに落ち着いています。いずれ大志を抱くのかもしれません。
その辺を考えたいたら、昔読んだ本のメモなどを発見しました。
当たり前ですけど、自由になればなるほど、その責任は自分で負うしかなく、自由と自己責任はセットで語られます。
会社に所属して、自分のやりたいことよりも会社の利益を優先して40年ぐらい勤めてしまうと、会社を引退すると何も残っていないように感じる人になってしまうような気もします。会社をうまく使って、主体的に仕事をしている人は別なのでしょうが。
アナキスト大杉栄からの引用なので、強烈な言葉ですが、共感できる部分もあります、ゆっくりと気づかない内にそうなってしまう。。。
資本主義というのは、人を幸せにするためのシステムでもなんでもなく、資本を増やすだけの増殖活動ですが、最近はパーパスとか、社会的使命とか、そういった会社も増えてきているような気がします。
でも、このお金を増殖させようとするパワーはものすごいので、それとパーパスやら社会的使命とかを一致させ続けられるような企業や起業家はどれぐらいいるのだろうか、とも思ってしまいます。
言葉だけが綺麗ごとを言っても、実態が違っていたらやりがい搾取などにもなってしまいますし、会社のパーパスなどと自分の意思を無理やり一致させるのも会社への依存になってしまうので、会社に所属している中で自分はどうしていきたいのか、問い続けることなどは大事なのだと感じます。
強い意思を持って、自分で責任を負って、精神的に自立していく。それができると、安心してくつろげるような状態になっていくような気がします。
ステップとしては、「〜からの自由」で経済的な自立をできるだけ目指して、それができたら「〜への自由」で精神的な自立をした上で、自分の明確な意思と強い気持ちを持って、くつろぎながら生きる。そんな感じでしょうか。
くつろぐのも楽じゃない。でもくつろいで生きたいから、そのための努力はできそう。今日もくつろぐために頑張ります。
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