「サル化する世界」を読んで。

内田樹さんの「サル化する世界」を読みました。2020年に。

気になった言葉、参考になった言葉をメモしてたので、振り返ります。

ポピュリズムとは「今さえ良ければ、自分さえよければ、それでいい」という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のことである(著者私見)

禅の言葉に「即今 当処 自己」という言葉がありますが、平たくいうと、「いま ここ じぶん」ということなので、ある意味ポピュリズム、、、の訳はないですね。全然違います。

自分さえよければ良い、という考えがこの世界を悪い方に持っていくわけで、そんな人たちは全員「世界は贈与でできている」を読んだら良いですね。スタートは私たちは贈与を受けているところから始まっている。これが腹落ちするだけで、自分さえ良ければ良い、という考えが浮かぶはずもありません。

「自分らしく生きろ」という一見すると子供たちを勇気づけるように聞こえるメッセージは、実はその本音のところでは、「はやく、「自分らしら」という蛸壷をみつけて、そこに入って2度と出てくるな」ではないか。

この指摘は目からウロコでした。

自分のやりたいことをやれ、夢をもてというのは、特にやりたいことがない僕にとっては呪いの言葉にもなり得ました。やりたいことがない自分は完全にダメなのではないか、というので、結局自分探しなどというよくわからないことを初めてしまう、、とか。。。

自分らしら、ってなんなのさ。それを周りが決めるなよ、とは思います。

それに対する解は、平野啓一郎さんの「私とは何か」での分人という考え方が腹落ちしました。

もはや自分が中年男性と呼ばれる年代になり(気持ちは若いけど)、年下に対してこういった思想や言葉を投げかけてやいないだろうか不安になります。(年下友達ほぼいないからたぶん投げかけてない)

高齢者にとって最も大切な生活能力は、他人と共生する能力。
理解も共感もできない他人とも何とか折り合いをつけることのできる力。

店員に高圧的かつ怒鳴ったりする老人(たぶん大企業の管理職を経て、定年後にアイデンティティを喪失している元企業戦士)をたまにみますが、絶対そうならないようにしよう、と決心します。

彼らは40年以上、会社のみの同質性の高いコミュニティに所属していたために、他人と共生する能力や共感力を失ってしまったのでしょうか、、、。
テレビで経団連のお偉方を見ると、全員コピペのようだなあ、、、と思ってしまいます。創業者社長は個性あるのに、サラリーマン社長は大体似ているようにみえる(最近はそうでもないのかも)

理解する、共感する、のが大事なのじゃなくて、理解も共感もできないけどなんとか折り合いをつける、ってところが人間ぽくていいですね。

経済活動というのは、恒常的な交換のサイクルを創り出し、それを維持することを通じて、人間の成熟を支援するための仕組みです。
でも高度経済成長期以後、日本では金儲けの能力と人間的成熟の間のリンケージは切れてしまった。子供でも嘘つきでもエゴイストでも、勢いに乗れば、経済的に成功できた。でも、プレイヤーに市民的成熟を要求しない経済活動というのは、人類学的には経済活動ではない

この指摘も好きです。
経済という字は経世済民から成っているように、民を救うためのはずなのに、いつの間にか暴走した経済がむしろ人間を疎外してしまった感じでしょうか。

新自由主義などがもてはやされ、ブルシットジョブであるようなデイトレードや大企業の企業弁護士(いい企業弁護もあるとは思いますが)が高給取りで、格差は広がり、その限界を感じ取っているのが最近なのでしょうか。

最近マルクス主義などの再解釈などの本も多いように感じますが、時代の転換点を肌で感じます。斎藤幸平さんの「人新世の資本論」はみんな読んで欲しい。

「自分が本当は何をしたいのか?」をいつも考えている人は「これはやりたくない」ということに感度が上がります。
そして生物が「これはやりたくない」と直感することというのは、たいてい「その個体の生命力を減殺させるもの」なのです。自分の生きる力を高めるものだけを選択し、自分の生きる力を損なうものを回避する、そういうプリミティブな能力を高めることがこの前代未聞の局面を生き延びるために一番大切なことだと思います。

やりたくないことっていっぱいあるけど、そういうことか!!と勇気をもらえました。やりたいことがない症候群の僕は、自分は本当は何をしたいのか?をしょっちゅう考えてます。

幸福とは何か?ウェルビーイングとは?お金とは?生きるとは?死とは?などなど、そういったのを考え、サウナの後の飲み屋でよく知らない人と無駄な討論をする。それが幸せなのかもしれないです。

という僕は「これはやりたくない」の感度は相当上がってます。

やりたいことはわからないけど、やりたくないことはあるし、今は幸いにもそのやりくないことをほぼやらないでいいような状況です。

やりたくないことは、その個体の生命力を減らすものという著者の指摘は僕を多いに励ましてくれます。

引き続き、本を読み、サウナに入り、ヨガをして、飲み屋で無駄に話す(最近飲み屋はいけてないですが)ということは大事にしていきたいと思っています。

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