見出し画像

#23 退院直後から現在の変化-状態面-


現在、腓骨神経麻痺
・発症から約11ヶ月
・手術(再生誘導術)から8ヶ月
・退院から4ヶ月
経過しました。

今回は変化の現れた時期や内容について、
そして現時点での状態について記します。

※以降( )内の数字は
 術後何ヶ月かを示すものとします


自分でも分かる程の変化が出始めたのは
退院して比較的直ぐ、10月下旬(4ヶ月)頃。

足首の背屈が少しずつ出始めました。
本当に、微妙に、反応する程度。

しかし同時に、足の痺れも加速しました。

ティネルサイン(※)が
どんどん下がってきたようで
歩く度に踵から痺れが上がってきて、
ビリビリと、気持ち悪い感覚が、
時には痛みが、2週間程続きました。

(※)神経支配領域
腓骨頭からくるぶしに向かって側部を叩いていき、痺れが走る場所を確認すること。
その場所までは神経伝達が行われている可能性が高いと判断するひとつの方法。
尚、元気な足をトントンしても痺れは走りません!


この時の感覚を例えるなら
正座をした後痺れてしまった足の状態が
ずっと続く感じ。

歩けなくはないけれど、
歩くのは億劫になりました。

ピーク時は靴を履こうとする段階で
痺れが酷く、笑い悶えながら履いていました。

それも11月中旬(5ヶ月)頃には
慣れたのか、更に進んだのか、
そこまで気にならない程度にまで
落ち着きました。

それが示しているかのように
背屈もどんどん進み、
反応を実感してから約1ヶ月で
-10°くらいまで上がるようになりました。

※足首の角度は、脛と爪先の角度が90°の状態を0°として測ります。
 言わば起立している時の角度が0°です。


でも1番分かりやすかった変化は、足指。

第2趾から第5趾までの4本が
一遍に動けるようになってきたことでした

母趾は未だに全く背屈してくれませんが、
それまで明後日の方向に動いたり
全く動かなかったり
1本1本が自由行動していた指たちが
揃って動き始めた時は、本当に嬉しかった。
なんならちょっと感動した。
わー!集団行動できてるー!って。笑

因みに足指への変化が出始めたのは
足首より早く、9月中旬(3ヶ月)頃。

この頃に第2趾が伸ばせるようになって、
少し経って第3趾も
少し伸ばせるようになってきたけれど、
まだまだ気まぐれちゃんで、
昨日はできたのに今日はできない、
第4趾と第5趾は全く反応しない、
なんて状態がずっと続いていました。

足指が動くようになると
靴の中で指を伸ばすことも
まだまだぎこちないですが
できるようになってきて
徐々に快適さを感じることが増えてきました。


そうして足指の背屈に攣られるような形で
背屈できる領域が広がり、
現在(8ヶ月)は0°までは
内反していますが
背屈できるようになりました。

全く動かせなかった時期から比べると
雲泥の差。
それは背屈角度だけでなく
生活の質自体の向上にも大きく影響しました。

ここ1ヶ月で漸く
外転(小指側に動かすこと)が
できるようになりましたが、
まだ回外(歩く時に小指が先、親指が最後に着く状態)であることには変わりなく、
外返しはできない状態です。

多少安定感は出てきたものの
時折足首は捻りそうになります。
(感覚的には急にガクッと外側に抜ける感じですが、
 捻ったとしても感覚麻痺しているので痛みはありません。)


それでも、一進一退。


動くようになってきたからこそ
今度は関節の固さが課題となってきました。

いくら動くようになっても
拘縮や癒着があると
本来出せる筈の動きが出せなくなってしまう

自分なりにケアをしてきたつもりでも
ド素人の自分では見落としてしまうこと
気付かないこと、分からないことは
多々あります。

だからこそPTさんに手伝ってもらい
少しでも元の状態に近付けるように
現在もリハビリを続けています。

が、
これも期限が近付いてきている現実もあり。
(リハビリには期限があります)

また膝への負担も増えていることもあり、
通常歩行には、まだまだ。

まだまだ。



お世話になった医師が言っていた

「 変化が現れるとしても半年経つ頃 」

というのは吃驚するくらい本当で、

そこに辿り着けるよう

回復したのは自身の身体で

その身体を守ってくださったのは
入院中お世話になったPTさんたち

だと実感。

ただただ感謝しかないです。



PTさんもいろんなタイプの方がいます。

・最初から現実を突き付けてくれる方
・現実を認識した上で
できることを広げようとしてくれる方
・現状確認のみする方
・効果説明をしつつ進める方
・諦めてフォローする方向で検討する方
・説明もなければ結果も伴わない方
etc.

新人さん、ベテランさん、女性、男性、

その中で相性は勿論ある

けれど、

いろんな方に担当していただいたからこそ
多角的に見られる部分や
退院した今にも繋がっている部分が沢山ある。
これは入院リハビリをした
大きなメリットのひとつと感じる。

言うならば、
担当してくださる方で結果が大きく変わる
という事実。を、知りました。



今はまだ経過観察中で、
あと数ヶ月はどこまで回復できるか
睨めっこが続きそうです。

回復が止まったらそこまで、
次が最終手段、だけれど
まだ手段は残されている。
可能性という希望。



退院直後、
再び燃え尽き症候群のようになってしまい、
長いこと変化が現れなくて
腐りかけた時期もありましたが、
「もう少し頑張ろう」と思えたのは、
タイミング良く変化が現れ始めてくれた事実が
背中を押してくれたように感じます。

しかし今度は
刻々と変化する事実に心身共に追い付かず、
また自分に合った装具も全く定まらず、
何かと神経過敏になっていた時期を
11~12月頃に迎えましたが、
「お前に何が分かるんだよ!!」
といった具合に
手を差し伸べようとしてくださる方の手を弾いてしまい、
藻掻いて足掻いてを繰り返し、
本当に近しい方には迷惑をかけたと
痛感しています。

漸く冷静になれたのも、
ここ1ヶ月くらいだったように感じます。

それも、
次の新しい目標が見つかったから。




僕は電柱理論でここまできました。

長期目標も大切だけれど、
長期目標に辿り着く為の短期目標の方が
僕には大切で、

逆算をできる程
予定通り神経は回復してくれないから、

「これができたら目標達成に繋がる
“確実にできること”」を

探求して、思考して、工夫して、
少しずつ少しずつ積み重ねるしか
方法がありませんでした。

単純脳味噌なので
おくってくださって嬉しかったことばを糧に、
お世辞だとしても
「一緒に舞台やりたい」ということばを糧に、
捨てそうになるそれを、保つしかなかった。

予測不能すぎて
自信喪失することが多いからこそ、
確実にできることを強化することで
自信(と呼べる程でもないもの)を保つ他
不器用な僕には術がなかったのだと思います。


今の回復レベルを言うなら、
体感40%ってところ。

失ったパーツが案外厄介で、
本当は60%と言いたいけれど、
総合的に見て、辛口に。
40%な理由も、また遺せたら、いいかな。

100%は確実に無理だと言われたけれど、
0から40までは来られた。
だから。せめて。あと40%。
様々な方法を駆使して伸ばしたい。
だから。まだ、おわり、は、選ばない。

遠回りかもしれないし、
不器用かもしれない、
けれど、小さくても、やれることを、
少しずつ、ひとつずつ、積み重ねてきて、
次の手段が、最終手段。

これからのことも、
誰かのために、遺せるように、
僕自身が一例となることが、
またひとつの、目標。

あれからもうすぐ1年。

まだまだ道のりは長そうです。


このサポートは、基本的に、僕の、お勉強や、成長の為に、使わせていただきます。 キモチと、キモチが、交われたら、、よしなに。