認知症「好子」のトリセツ
介護終了後に来るもの
丁度、一年前に母が他界した。終わった後の話から始め様と思う。
要点は、ひとりでの介護でなく、同一生計的な人間がいて、介護中も介護後も収入にそれほど変化が無い人や、資産がある人ならば、問題は無いのだけれど、介護の為に仕事をやめたりしていて、経済的にギリギリの介護生活だった人は、介護終了後に大変になるという話。
自分の場合、母との二人生活、仕事は1人で自宅開業の歯科技工士をやっていて、特に介護の為に仕事をセーブしていたという事はないのだけれど、流れのままに請け負って、自分ひとりぐらしするには足りないが、母の年金との合算で生計をしていた。
そして、母が他界し、当然、年金が支給されなくなり、家計が苦しくなった。
自分の計算が甘かった、わかっていた事なのに漫然としていたのは確かなのだけど、介護は毎日必死に近い、そんな先の事まで当たり前のように見通せる人は多くないと思う。
で、そんな事も介護にはあるという事をお伝えしたかった。
実は、冷静でいられたなら、こんなお金で苦しむ状況にはならなかったと考えている。
また、後にお話しすることにもなるかもしれないが、先に亡くなった父が大戦に行って帰還した人で、その後自衛隊員となり、恩給を頂いていた。死後、遺族年金として母は父が受けていた額の半額を受け取っていたのだけど、それが、結構高額だった。勿論、富裕層的なそこまででは無かったけれど、質素な生活を心掛けていればお金の心配はほぼしないですむぐらいの額だった。
認知症になって、初期は、暴れたり、手の付けられない状況だった。24時間その状況では無かったけれど、日に2~3度くる荒波がいつ来るか、自分の仕事はおろか、生活もままならなかった。そこで、大変助けになったのが、車での移動と、買い物だった。元々母は、田舎の古い人で、惣菜とかお土産を隣の人と会話をするように贈ったり、分け合ってするのが好きな人だった。基本そうだから認知症になってもその性格は生きていたというか増長した。
買い物をしている時だけは、それに夢中になっていてくれる。何万もするような嗜好品を買う事は無かったが、頻繁に田舎に果物ののセットやら、衣類を、近所の人には野菜やら、お菓子類を贈っていた。配り歩くので買う時にも同じものをいくつか買うのが常になっていた。大した額では無いのではと思うかもしれないけれど、日に3千円、月に9万円、生活費とは別途かかる、時には6千円やら1万円を超える時もあり、最終的には受け取る年金額を超えて、こちらの収入も削り、カードの支払いが限界を超えていった。
もっと早目に母の年金を管理していれば良かったのだけど、それは、母のものだから結構な時期まで好きにさせていた。
でも、認知症の対応には非常に助かった。無いものは無いとして何も買わせなかったら、請求書の山に困る事は当時も今もなかったかもしれないけれど、買い物の時にみせるは母のあの穏やかさはどうしても必要だったと思う。
買い物が一般的に介護に必要とは言えないが、自動車は必需品だと思う。
特に目の離せない母と二人きりであれば、病院等は当然の事、母には直接関係ない用事でも1人きりにさせられないので、どこへでも連れていかないといけない。自動車は大活躍になる。
で、母が去った今、自動車が必要かと言えば、東京等に身直にいける場所に住んでいる自分としては、さほど必要としていない。勿論、あれば便利に使ってしまうが、車のローン等、重みがのしかかってきている。一括で返済する経済的余裕もないし、電車賃と比べるとガソリン代の方が安いことは安いが、維持費等、出費の大きな割合は生活に見合わない。
以上が、介護後の経済状況。まだ恵まれている方で、介護費用も仕事も無いというわけではないのだけれど、世を去った母の燃え滓のような生活から抜けたいと思うこの頃である。
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