声のベクトル

私は人とコミュニケーションを取るという事が苦手だ。生来のそそっかしさでよくドジを踏むし、人の声が普通よりも聞き取り辛いのだ。

聞きづらいのに関していえば、私は中学時代には吹奏楽部に入っていたので、少なくとも訓練はしていて、音程テスト(ハーバード大学がやってるもの。リンクはhttps://www.themusiclab.org/quizzes/td)ではかなり頑張ったら1/64まで聞き取れるぐらい耳は良い筈なんだが、人の声には滅法反応しづらいのだ。そのせいでよく聞き間違えもするし、他人の言ってることを理解するのにも時間が掛かるときがある。

バイト先の上司からは、有難いことに、真面目が空回る天然キャラと見られていて、悪いようにはなっていない。然し、世の中には私の此の無能さに苛立ったり、或いは別の面で反りが合わなくて、私のことを嫌いになる人がいる。是は普通のことである。然し小学校の時分には、そのタイプの人間が実に多かった。

人間がドジな人間で遊ぶ時には、その人間を言いこめるか、困惑させる。小学校では、私に対しての嫌いな態度の理由を聴いても煙に巻かれたし、その態度を止めるように言っても私は、相手の曲解と、そこから来る詭弁の袋小路に陥って何も言えなくなったものだ。

嘗てよりは良くなったとはいえ、今でも、相手に厭な奴だと思われたらしっぺ返しが来るから、非は絶対に作るまいと、所謂「陰キャラムーブ」を取ってしまうこともある。だって怖ろしいのだもの。

其れでコミュニケーションに必要な声にも支障を来してしまった。発声は普通にできるし、活舌は、悪い方ではあるが何とかなっている。然し如何いったことか、話しかけても反応されない事がしばしばあるし、是が、バイトの繁忙時間になるとしょっちゅう起こる。

原因は何となく推測できる。話しかける相手に気持ちが全く向けられなくて、声の指向性が変になるのだろう。是は先程の体験が其の病理に一枚かんでるんじゃないかと思うが、何分私の歴史なので解釈意外に対処の仕様がない。だが物事の解釈なんて気分次第でコロコロ変わり、当然其れは経験にも当てはまるから、若し私が嫌われ得る状況に成ったらもう気もそぞろになり、声は見当違いな場所へ飛んで行く。

そうなると、意思疎通のベクトル方程式は崩れて、甲斐なしとなるか、誤解が生じる。其れが更に私の尻を叩いて、今にもコースアウトするF1カーのように暴れ狂いそうになる。

まあ焦って失敗しても所詮バイトなので、と切り捨てていこうじゃないか。あとバイト先の先輩も「慣れが大事だから、頑張れよ」と私を励ましてくれたし。先述の呪われたギャング・エイジの様な状況ではないのが救いだ。

世の中、環境が9割だわねえ、残酷だ。

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