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持続可能な社会へ向けて

先日は会社の同僚らとコロナ後の地域づくりをディスカッション。いろいろと各人の考え、モヤモヤとしているところも共有しつつ、社会のあるべき姿を考える機会だな、と実感。スピーディな行動と、先を見据えた提案。どちらも大事にしつつ。

まだ油断はできませんが、明日から仕事が本格的に再開というところも多いでしょう。自分なりにコロナと向き合う時間を過ごしてきましたが、私にも徐々に日常が戻りつつあります。明確な答えも見つけられず、むしろこれから掘り下げていくべき問いを考えていたような日々でした。少しでも、その問いかけの中から望む未来の実現へ、動いていけたらと思っています。

持続的な成長を改めて考え直す

新型コロナウイルスの影響が広がる前は、いかにまちなかに人を集めるか、どうやって賑わいを作るか、子育て世帯流入を促し人口を増やすか・・・といった話が幅をきかせていました。持続的な成長をどう考えるか、という命題に真剣に向き合っていなかったのかもしれません。

日本は(東京などを除いて)人口増加も難しい低成長時代にとっくの昔に突入しています。そこにきちんと向き合わなければならなかったはずで、物差しを変えていくべきが、もう一つ変えきれていない思いがあります。

都市や地域が低成長時代にあっても持続的に成長していくための価値観のチェンジ、資源の配分やその実現のための方策を真剣に考えていくべきだったのが、今回のインパクトで、その時計の針を一気に巻き進めた様に思います。

そして、このコロナの前後で、何をよりどころに計画するか、も極めて不透明になりました。判断の軸を過去に求めるのも難しいし、単に数字を積み増すだけではない世界が、これから訪れると感じます。より豊かに、より幸せに暮らせる、支え合って生きられる、そんな社会や都市の有り様を明確にイメージしたいと思いました。

持続的な経済を中心に据える社会

そして、その原動力となるべき経済は、大きなダメージを受けました。売り上げが無くなる、客が来なくなる事態なんて、想像すら難しかった現実が突然やってきました。本当に苦しい時期を過ごされ、今も苦しんでいる人がいる一方、それを支えようという動きは一つの希望に。ネイバーフッドでしなやかに支え合う地域の経済が、今回の様な危機を支え、これからも大事にすべき資本であると思えたのは、兆しがある感じがします。

他方、音楽・芸術なども自粛要請で大きな影響を受けました。全く無い生活を続けたことで、決して不要不急ではなく、暮らしを支える大切なものであることを認識したと同時に、やはりこれらも地域の経済で持続的に回していくべきものであると気づきました。

どの様な経済の仕組みが、この不確実な世界において地域の持続的な雇用や購買、サービスを生み出し、そして感謝や喜びを創り出し、未来を支え得るのか。経済の専門家ではないのですが、ここをもっと深く追求していかねばならないと強く感じました。

自ら考えて地域を、社会を動かす市民社会

毎日、感染者数のデータを見て「ああよかった」「もっと気をつけねば」と一喜一憂していたのは、私だけでは無いと思います。この様な客観的な事実のデータが、かなり我々の日常にまで及んできました。もっと、身近な地域のデータにも目を向けられる兆しになるでしょうか。

感染者数などのデータは自らの命にも関わる問題なので、他のデータと比較しても注視されるべきものですが、自らデータを集めて公表する動きは、初期のよくわからない感染下では一つの材料になったと思います。

客観的なデータをオープンに共有しながら、地域を、社会を正しい方向に導くプランニングがスタンダードになって、自ら考えて社会を動かすスマートな市民がこれからの担い手になっていくと思います。専門家もきちんとした事実を持って、社会と対峙し、対話を重ねていく努力が当然今までも求められていましたが、より正しくわかりやすく提示するセンスが要求されるでしょう。

取り残さないセーフティな社会

オンラインが全盛になっても、リアルな繋がりがあってこそ、というのは、どの現場でも感じたことです。オンラインは手段の一つとして増えた、くらいの感覚でいた方が良いと思いますし、対面で得られる価値は(余計なリスクは増え対処が必要なものの)薄れるどころかさらに大切にすべきものと思いました。

そしてこれはコロナ以前からで、その繋がりが徐々に薄くなりつつある、既存の繋がりの仕組みが疲労しつつある中で、今回のショックを経て、より新しい形で繋ぎ直すことが必要だと感じます。いくらSNSが発達しても、オンラインができる様になっても届かない人たちも含め、取り残さないセーフティな社会をどう構築していくのか。

そして、コロナショックで職や住まいを失ってしまった方々。これからも、第2波が来るとも言われ予断を許しませんし、再度自粛に逆戻りしたらもう持たないという声も耳にします。何かがあった時のために備えを持ちつつ、しなやかに対応し回復できる様なレジリエンスな社会も、これからの社会像として重要だと感じます。

縦にも横にも統合的につなぎとめプランニングする社会

統合的な空間計画の必要性はこれまでも散々言われていますが、コロナの影響が広域に及び府県の対応が注目もされ、かつ、ご近所の範囲も意識される様になりましたし、よりマルチなスケールで対応すべき社会が来たと感じました。しかもそこにバーチャルな世界もより強く加わっていくと思います。様々なレイヤーを「行ったり来たり」、バーチャルも介しながら展開する空間計画も必要となって来るのかなと思いました。

そして今回特に重要だなと感じたのが、建築物と外部の空間、道路や公園・緑地といった公共空間も含めたオープンスペースなども、統合的にプランニングしなおさないと、コロナ禍に対応できる空間にならないということでした。いわば空間の横の連担性というべきでしょうか。そして、それぞれの空間の意味も、時々によって変えられる様な自由度、柔軟性を持たせる。そんな空間デザインが求められていると思いました。

その様なことを実現する専門家って、もはやオーケストラのスコアを綿密に計算し尽くされて仕上げる作曲家ではなく、様々なミュージシャン(建築家や公共デザイナー、ランドスケープデザイナーなどの専門家)をコラボレーションさせ即興的に音楽を生み出す、その場を作りながらアップデートしていくセッションのホストみたいな感覚に近そうです。

望ましい社会像を持ちつつ、それは実践と自由度、柔軟性ある試みでアップデートしていく様なプランニング。これから主流になっていくのでしょう。

おわりに

文章にすることで、色々と気づいたこともありましたし、まだまだ考えるべきことが多いと思い知らされました。また、他に記述する人の文章を読んで、非常に得るものが多く、参考になりました。

何より、空間や地域を考える前に、まず持続的な社会や経済のあり様を考えることが必要だと、痛切に感じています。また明日から研鑽できればと思います。

これからも、noteはまた気楽に?思いついたことを書いていきます。

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