6/24 家系を支える徳の話と宿命に見る親からの申送り事項、申送りを果たすと人生は発展する
本日は、昨日の続きです。
といっても、守護神の続きではなく、パク・クネ元大統領の命式の続きです。
厳密にいうと本日は、パク・クネ元大統領の栄光と挫折、そして失脚の先の苦しい末路について、
家系という面からちょっと説明しておこうと思います。
通常は、個人の生年月日を捉えて、人物を読み取っていく、ということにポイントを置いた説明をしているのですが、
実際には、
一人の人間がいればその人物を生み出した親が2人いて、
その親を生み出した親(祖父母)が2人います。
算命学では、
人間は集団の生き物である、とか、
個人では生きていけないのが人間である、とか、
…いわれますが、
これは、
他人に助けてもらわないと生きていけないとか、
あるいは数多の他人の仕事に支えられて文明ができるとか、
そういう意味ももちろんありますけれど、
一人で生きることは出来ず、集団で生きるのが人間である、
ということの本質的な意味は、
この世に命を受けて生まれた人間は、
「必ず両親の存在がある」ということであり、
その両親にもそれぞれ「必ず両親の存在がある」、
つまり、人間は「独りだけで突然この世界に命を受けることはない」ということを言っています。
そして、さらにいえば、これは、
人間の肉体が、
父親と母親の精子と卵子の先に生まれる、という物理的な現実の連続の先に人間の集団ができる、
…ということのみならず、
人間の命、その人生というのが、
父親の命、その生き方と、母親の命、その生き方、それぞれにおいて積み重ねられた因縁の先に、人間の集団ができる、
…ということをも意味しています。
「家を建てると先祖の徳を使い果たす」
ということがいわれます。
これは、
「家を建てる」という有形の世界で堅固な自分の居場所を得る、ということには、
単に金銭的な支出という代償のみならず、
人間としての徳が必要である、ということであるのですが、
もう一つ、人間は親や祖父母、それに連なるご先祖様の「徳」に支えられて有形の現実を生きている、ということも、実は示されています。
「先祖の徳を使い果たす」
というなら、当然に先祖の徳の蓄積がそこにはある、ということですね。
つまり、
人間が有形の世界に命を得る、ということの背景には、
すべて親や先祖の徳があり、
人間が有形の世界で生きる、ということが実現するそれは、
すべて親や先祖の徳に支えられている、
ということを意味しています。
大事なことなのでもう一度書きますが、
人間が有形の世界で生きること、現実の世界・社会で活躍することができるそれは、
すべて親や先祖の「徳の支え」があってこそのことである、
ということで、
先日、メインブログのほうで、引退を表明された塩崎さんについて書いたときに、
有形の世界での名誉栄達は三代かけての大仕事である、
ということを書きましたけれど、
これも、親や祖父母の「徳の支え」なしには、現実の世界・社会における活躍はない、
ということの一例です。
これは一方で、
自分が徳を消費する一方で、徳を積む、ということをしない場合には、
つまり命を終える段階で、徳の借金を残したような場合には、
子や孫はその人生で「徳の借金を返す」というような生き方を強いられる、という意味でもあります。
前置きが長くなりましたが、
本日は、その個を超えた家系という側面での人生の捉え方について観ていきます。
さて、パク・クネ元大統領は、韓国の第5代-第9代大統領であるパク・チョンヒさんの娘さんなわけですが、そのパク・チョンヒさんとパク・クネさんの命式を挙げます。
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