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7/16「正しく十干の性情を知る」② 甲木-天に向かって真っ直ぐに伸びる

昨日の続きです。
「正しく十干の性情を知る」ことについて説明しているその続きです。

「正しく十干の性情を知る」とはどういうことか?
「正しく十干の性情を知る」ことがなぜ必要なのか?
…については、昨日の概説で説明しているので、そちらを先にご覧くださいませ。

さて、「十干」とはすべて自然界に存在するものであり、昨日は、
「天に在るものは地に在る」のと同じように、
「自然界に在るものは人間界に在る」というのがこの世界の仕組みである、
…ということを説明したのですが、

「天に在るものは地に在る」というとき、
それは、その「天に在るもの」と「地に在るもの」の、
「目に見える形」や「目に見える姿」、「観察することで知ることができる様子」
…のことをもってそのようにいっています。

天を見つめて見つけたものが、地に在ることに気づくとき、
それは「形」や「姿」という客観的な外観が同じであるからそれと気づき、
それが「形」や「姿」において、客観的な外形が相似形を成していることに気づくことの先に、
そこに同じ性情があり、同じ構造があり、同じ仕組みで動いていることを知ることになるわけで、

「天と地」というかけ離れた場所にあるその2つが「同じである」という場合には、
それは、当然に、「客観的に見える外形=姿・形」であり、
「性情」というときのそれも、「客観的に見える性情」であり「客観的に見える構造」であるといえ、

そうでなければ、
「姿・形」において疑問の余地なく天と地にあるものが「同じ」である、
「性情」においてゆるぎない確信をもって天と地にあるものが「同じ」である、
…ということなどできないわけで、

「天に在るものが地に在る」といったところで、
万人がそれを事実と認め、信じ、何千年・何万年もの気の遠くなるほど長い期間にわたりその認識から生まれる知恵が継承されることはなかったに違いありません。

そう考えると、「十干」を捉え、それを処世術とする、というときには、
各十干の「形」や「姿」、そこに備わった性情など、
「客観的に見えるもの」、「観察することができること」をしっかり眺め観察して捉えていくことが、たいへんに参考になるのだということがわかるだろうと思います。

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