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6/27「福運」と「貧運」を活かすために必要なバランスの考え方、守護神帝王が良いとは限らない理由

間が空いてしまいましたが、
「福運の命式 人生」と、「貧運の命式・人生」についての続きです。

先日、
6/23 「福運の命式・人生」と「貧運の命式・人生」の概説、幸せと満足の在り処
…のところで概説しておりますが、

「福」、「貧」という字面に囚われることなく、そこで思考を歪めることなく、
「福の命式」、「貧の命式」を捉えることは重要です。

世の中には「福」とあるから「福」は良いものだという思い込みの色眼鏡でもって「福の命式」を捉えてしまい、
そのために適切な命式の活かし方、命式の問題点への対処が出来ないケースというのが少なからずあります。

「福」とか「貧」とかいうと、そのワードに良し悪し・プラスマイナスの評価が紐づいているように感じられるので、

未成熟なものの捉え方をする方の場合、
=成熟したものの捉え方が出来ない場合、
=一極二元の視点で捉えることなく、善悪二元論でものを捉える場合、

「福」のワードがもつ色眼鏡を外すことが出来ない、
「貧」のワードがもつ色眼鏡を外すことが出来ない、
…ということが起こり、

結果として、
「福」がつく命式ならば、すべてが福々しいもののように捉え解釈し、
「貧」がつく命式ならば、すべてが貧しいもののように捉え解釈してしまう、
…というような愚考に堕してしまうことになります。

繰り返しになりますが、
「福運」の命式であれば、福運らしい生き方の先に満足があり、その満足の先に幸せがあります。
「貧運」の命式であれば、貧運らしい生き方の先に満足があり、その満足の先に幸せがあるのです。

世の中には、
福運を持ちながら貧運の生き方に憧れ、その生き方に向かった先に人生を狂わす、
貧運を持ちながら福運の生き方を志向し、福運の生き方をまい進した先の落とし穴にはまる、
…といった事例が多くありますが、

福運には福運の生き方があり、その生き方の先に発展があり、
貧運には貧運の生き方があり、その生き方の先に発展があります。

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