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11/15 「毒親」はなぜ生まれるのか?の考察 時代に育まれる人間の性質、世代ごとの性格

「毒親」というのをご存じでしょうか。

Wikipedia によれば、
「毒になる親」の略で、
毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指し、
多くが自己偏愛的ナルシスティックな親が子供に害をなす、そういう親のことを指すようです。

最近、この「毒親」についてのご相談、
自分の親が「毒親」であることについてのご相談が続いたので、
これについて整理しておこうと思います。

「毒親」というのはおそらくどの時代にもいるのだと思いますが、
この言葉が注目され、ある種のブームとなったのは、
2008年時点で30代・40代だった人たちが「自分の親は毒親だった」という自覚し主張されたことが始まりだったといわれているので、今回はその前提でご説明します。

さて、その2008年時点で30代・40代だった人たちというのはいわゆる団塊ジュニア世代の人たちなので、
彼らがいうところの「毒親」というのは、基本的に団塊の世代の人たちを指します。

実際、団塊の世代の人たち、
つまりは団塊ジュニアの親というのは、
往々にして「毒親」であることが多いといわれるのですが、

実はこれは、個々人の性格・性質として「毒親」になるというのとは別の次元の話で、
その世代全体、つまり団塊の世代全体において「毒親」的な傾向があるのだろうと考えます。

というのも、
団塊の世代というのは戦後に苦しい時代に生まれ、
貧困と困難の中で子供時代を過ごした世代ということでもあるのですが、

そういう苦しい時代に育った人たちというのは、
苦しい時代に育っただけに自らの生存に向ける思いが強く、
調和的であるよりも競争的(自分が勝ち抜くこと、生き残ること)な傾向が強く、
無形の価値観よりも有形の価値観を重視する(キレイごとより実を取る)人が多い傾向にあり、

いってみれば、
「自分が生き抜くためには、まわりを踏み越えねばならない」
…という時代に育ったがゆえに自己愛が強くなる、

その結果として、
子供すらもその動乱的価値観、自己愛の延長において育ててしまう
その生存のための必死さゆえにその生き方を子供に押し付けてしまう
=毒親化する
…ということになるからです。

もちろん、団塊ジュニアの親、団塊世代のすべてが毒親化するということではないのですが、
団塊の世代の親たちの多くが、
多少、どぎついようなことも、涼しい顔をして当たり前に言ったりやったりできるのは、
そういう苦しい時代の名残であり、

「毒親」といわれたりするその言動というのも、
実は、当たり前の生存本能が機能した結果にほかなりません。

一方で、団塊ジュニアが生まれ育った時代というのは基本的に平和な時代、
少なくとも食べるのに困るようなことのない時代、
誰か、何かの攻撃により命や住居を脅かされることのない時代に育ったので、
そういう「どぎついこと」には拒絶反応が出ることになります。

さらに団塊ジュニアの世代というのは価値観が多様化し、
必ずしも有形のものに価値を置くわけではないような時代
無形の価値も重んじる傾向が強まっているような時代、
有形のものよりも無形のものに評価の軸が移りつつある時代であったので、

そういう時代に育った団塊ジュニアの世代と、
貧困と困難の時代に育った先に「有形一辺倒」の価値観を持つことの多い団塊世代の価値観とは相反することも多く、
そこで大きなハレーションが生まれたりすることになります。

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