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おかしみのある人間

バナナの延命治療をした。

うーむ。
比喩表現が過ぎますな。
自分、ちょっと恥ずかしくなってきました。

改めて、事情を説明しますと、我が家に大量のバナナがやってきたので、冷凍保存しておいしくいただける期間を延ばし、無事に完食しましたということ。
それだけです。はい。

いやぁ。ねぇ。
思いついちゃったんだから仕方がないでしょう。
つい誰かに言いたくなっちゃったんだもの。
「延命治療」って自分には耳慣れない言葉で、インパクトがあって、バナナとはかけ離れていて、こりゃ面白いって、脳みそにビビビッと来たんです。
でも、理性がこれはやめとけってブレーキをかけたもんだから、じゃあ、と思ってnoteに書くことにしました(なんでnoteならいけると思ったのよ)。

こういう、思いついてもだんまりしちゃうことって、私の中では割とあって。
わざわざ口に出さなくてもいいかなぁって口をつぐんで、結局忘れちゃうことがほとんど。
言ったところで話が広がるわけでもないし、何なら、今じゃなかったなぁとか、たいして面白くなかったなぁとか、あとあと後悔する可能性もある。
そんなリスクを負ってまで、あえて人に言うってことをしなくなってきた気がします。

「しなくなってきた」と書いたとおり、小さいころは思いついたことをポンッと言うことに挑んでいた時期もあります。
というか、最近までそうだった気がする。
ちょっと勇気がいるけれど、自分の一言で、場が和んだり、友達が笑ってくれたり、そういう瞬間が好きで、そのために脳が動くって感じ。
その感覚を楽しんでいた。

それなのに、今は、「まぁ、いいか」とあえて言わない自分がいる。

思ったことをすぐに口に出すのは、大人の社会では敬遠されることも多いと思う。
子どもっぽいとか、よく考えてから話しなさいとか、そういうセリフを聞いたこともある。
思慮分別は大事。
うん、わかるぞ。
冒頭の一言も、強めな言葉だし、不快に思う人がいる可能性もあるので、言わなくてよかったかもしれないと思います(ここで書いたことで心を痛めた方がいたら、ごめんなさい)。

でも、それはわかっているけれど、今の自分はなんか違う。

自分が何に対して臆病になっているのかわからないけれど確かにおびえている。
自分のことなのに自分の行動が変わってからその変化に気づいてへこんでいる。
なんだか、不気味で、気持ちが悪い。

そんな、ちょっと動揺している頭だけど、今の、「なんか違う」の、逆を考えてみました。

たどり着いたのは、きっと、私はユーモアを愛しているということ。

うん、私、ユーモアがやりたかったのかもしれない。
日本語で言うと、「おかしみ」。
なんじゃそりゃ。
超・感覚的。
だけど、だいたいの国語辞典にはこの言葉が書いてあります。
定義自体があいまいで、世界でも多くの作家や哲学者たちが向き合ってきたものらしいです。
あいまいなものに惹かれてしまったのね、私。
まぁ、よかろう。

愛してるぜ、ユーモア!
目指すぜ、おかしみのある人間!

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