第1章 その1 36歳で中小企業診断士になったものの・・・何がなんでも自分の納得する居場所をつくる
結局のところ、自分と大切な人の居場所を作るためあれこれ動くことで、道が開けるのではないかと思うのです。余程の天才でなければ、学歴はあった方が人生の修正がききやすい。良く言われるように、点と点が後からつながるような人生にしたいものです。
1. 出身がわからない(大学院まで)
出身はどこですか?という質問に結構困ってしまう方っていませんか?
私はそのパターンです。両親が転勤族だったというわけではありません。元々、神奈川県の相模原市という場所に住んでいたのですが、中学と高校は鹿児島のラ・サールという学校で寮生活をしてしまったのが主な原因です。あちこちで生活するので、いわゆる故郷という感覚がよくわからないのです。
大学は1年浪人したので、そのときから東京の自宅(このときは八王子というかなり神奈川県寄りの東京都へ引っ越していました)に戻りました。浪人中の河合塾の授業、あれはおもしろかった。先日、工芸のお仕事の関係で日本民藝館に行った際、久しぶりに東京大学・駒場キャンパスを見学しました。浪人中にラ・サール時代の友人と楽しく駒場で遊んだのを思い出しました。
そんなこんなで、第1志望の早稲田大学・法学部に合格できました。自分で言うのも何ですが、結構真面目に憲法ゼミで勉強していたと思います。早稲田大学は非常におもしろい大学で、良い思い出ばかりです。当時は漠然と研究者になろうかなと思っていましたが、ここら辺のキャリア意識の弱さが後々困る原因になります。
さて、今となっては隔世の感がありますが、私が大学を卒業した2006年は法科大学院(ロースクール)ができたばかり。法科大学院の注目度も高まっており、私も慶應大学の法科大学院へ進むことにしました。慶應にしたのは、早稲田と慶應、2つを知ると面白いことがあるのではないかな?と思ったからです。
ただ、法科大学院というのは司法試験に合格するという明確な目標がある大学院です。したがって、そもそも自由の香り漂う面白い学生生活にはなり得ません。しかも、司法試験に合格しない場合、その後がどうなってしまうのか誰にも分からない恐怖もつきまといます。司法試験に不合格だった読者層を想定して、「まあ、なんとかなるんじゃないでしょうか」と一橋大学の学生さんにインタビューを頂いたのが以下の記事です(その節はありがとうございました・・・)。
結論として、司法試験に落ちる=既卒、というマイナスからのスタートが始まります。新司法試験は3回まで受験できるのですが、そもそも試験に向いていないことが自分でも分かっていたので1回の受験で見切りをつけました。資格試験を受けるときは、そもそもこの試験に向いているのか否か、を最初に見極めることが重要だと知りました。
2. 社会人になったものの
その1 最初の会社
社会人のイメージがよくわかりませんでした。私の一家は3世代前まで学校の先生で、周囲にサラリーマンがいません。そのため、営業のイメージがわかないという、非常に困った状況でした。
ひとまず、アニメが好きだったこともあり、電話で直接頼み込んで、アニメ製作会社で働くことにしました。アニメには制作と製作、2つの会社があります。制作は企画で、アニプレックスのようにマーケティングを含めた上流工程の会社です。製作は下流の工場に相当する部分で、納期に間に合うようにQCDを高めた作品を作る会社です。私が行ったのは製作会社で、放映日の朝まで作品を作るという、それは大変な状況でした・・・結局、このまま働き続けても体を壊しそう&生活ができない給料ということがわかり、4カ月程度で辞めてしまいました。
その2 「普通の」会社で働く
アニメの会社を辞めてしまってから、本当にやりたいことがなくなってしまいました。しかもリーマンショックの余波が残っており、既卒者ではエントリーもできない企業も多かったのです。なんとかツテをたどって応募できたのが、京都にある日本電産というモータの会社の人事部でした。部品メーカーというとマニアックな領域だと思われますが、世界最大のモータ企業です。
アニメ製作会社で監督が「僕らの仕事はスーツを着て毎日会社に行くような仕事とはまったく違うんだよね」という話をしていたこともあり、きちんと働くなら「スーツを着て毎日会社に行く仕事」がよいのではないかと思ったことも理由です。実際に働いてみると、驚くというか、慣れないことの連続で、それはそれは大変だったのです・・・
次回に続きます!
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