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金魚の肺呼吸

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泳ぐこと詠むこと。 水の中から見える世界は狭いか広いか。
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2017年5月の記事一覧

皿

媚び諂うものに
情欲をみないものがあるならば、それは

皿が美しすぎたのかもしれない。
 
 
 
皿を何度も何度も濯ぐ。
そのうちに皿であることすら忘れ、
ただ白くある。

そこに重ね阿るものもない。
ただ白くある。それは
 
 
皿でなければ知れなかった。
皿が皿でなければ、どうして
わたしが生まれよう。

然うしてひとは

然うしてひとは

左から右から、
下から後ろから前からと見遣る。

生きるがゆえに天上はなく。

疼きに損なうことは多けれど、
飽くことはなく。ただ稀に
 
 
 
蓋を開けてしまうことがある。
それが釜の蓋か、箱の蓋かを知るには、
随分と遠くへいかないことにはいけない。

天上に蓋はない。
ひとには蓋がない。
 
 
蓋をするには理由がいるといふ。

屋根と屋根のあいだに

雨降れば傘のよう、
涙すれば胎内のよう、
渇けば湯屋のよう。

屋根ひとつ、
屋根ふたつ、
屋根みっつと生まれ。その

ちいさく、ちいさくなった空には、
あたらしい星がひとつ。

屋根と屋根のあいだには
望遠鏡など星甲斐も無いなどと、どこかの屋根の
湯桁は唄う。

命の仮住まい

遠く佇む巨大な棲み家。
それを埋め尽くす光の数々は、まるで
夜に集う虫たちの如く。怪態な一塊の如く。
併し、

同様に息衝くわたしたちこそ
虚像であるかもしれず。そうであっても

知る由ないことならば、それは
果てしない。

何処へも往けず、そこが在処となる。
あれらの光が消えるとき、そこには

共同乃至、集合の概念は生まれるのだろうか。