伊勢詣 ~手に入れる編

シンプルな木彫りの龍の「干支守り」

ニュースで目にした瞬間に「おむかえせねば!」と、昨年12月2日(土)に旦那さんと二人で伊勢神宮へ参拝に出掛けた。


朝5時に出発
当初予定の、余裕の4時発からだいぶ遅れての出発に今更ながら日の出に間に合わないんじゃないかと早速焦る。うーむ。

下道で行くか
高速道路に乗るか

以前家族で参拝に行った時は「当然下道っしょ」と、金銭が発生するのを極力避けたい貧乏症の私の判断があだとなり、恐ろしいまでの渋滞に巻き込まれ、運転手の旦那さんをプチ苛立たせたなぁ。うーむ。うーーむ。

今回は子供はいない旅、となると、道中旦那さんとの会話を繋ぐのに神経を尖らせていないといけない…

虚無の時間は なるべく短い方が良い。

ガンッガンに高速道路を利用しよう。

普段のケチ旅からは考えられないほど最・最寄りのインターから乗り、内宮真ん前のインターで降りよう。旦那さんが嫌いな訳ではない。



「せっかくなら大鳥居に掛かる日の出を拝みたいよね」


この「せっかく」は、ついでに見られたらラッキーというニュアンスをパラパラとふりかけただけの「絶対見たい!」なのだ。

私だけの楽しみ旅行にしないためにも旦那さんが楽しみにしている お祓い通りでの食べ歩き に丁度良い時間になるように歩調を合わせた配分にした結果出発に余裕をぶっこきすぎて「みすみす見逃す」なんてことは あってはならない。

そしてそれを旦那さんに悟られないようにしなければならない。


「いやああああああっかるくなってきてるねえええ…  て、天気が良くてサイコーーだぁぁぁ」
「あ、そろそろトイレ休憩しておこっか?サービスエリアでちょっと何か食べたいしね」

!!!


運転手が
サービスエリアに寄ろうとしている

とめるべきか
応じるべきか


私のぎこちなく張り詰めた口調がトイレを我慢してると思われたのか

正直
めちゃくちゃトイレに行きたかったし小腹どころか本気で腹がぐーぺこだったが、このまま突っ走ってほしいので私からは極力その両ワードを出さないようにしていた。


私はこっそり日の出に間に合いたいと切望し
旦那さんは 旅の醍醐味SAを楽しみたい

運転を高速で2時間近くしているのはなかなかの疲労だ。日の出なぞ毎日昇るし、見られなかったからと言って何かが欠けるわけではない。どちらかと言えばここで旦那さんの楽しみに寄り添う方が今後訪れる老後生活に良い影響を与えるし私の膀胱にも絶対に優しい。

「レッツ SA!!」

さぁさぁ満たされたあとは全力で運転に集中してもらおう。見晴らしの良いSAからは完全に日は出ているので焦る。

インターを降りると時刻は6時56分。



「真ん前の駐車場空いてるといいよねええええ」

余裕を振る舞うが顔は笑っていない

真ん前駐車場……やっぱいっぱいか…

と思ったら

空いた!

奇跡的に一台が出ていった。

こ、こんな早朝にすでに退散なんてことあるのか!?は、人それぞれだ。
とにかくこんなジャストフィットしておいて朝日はもう通り越してました~なんてボケだけはかましたくない。

大鳥居の前を見ると20人ほどの人がポケットに手を突っ込んで上を見ている。
スマホをかざしていないということは‥
朝日はまだ山の中だ!!間に合う!!…が!

れ‥冷静に、冷静に

慌てて足がもつれて転んで、見逃すし骨折するしなんてボケもかましたくないのよ。



「え〜超ラッキーじゃん。間に合いそうだね〜」


よし、余裕を装いきれているぞ私


「わ〜出てきた〜。あれ~みんな写メってる〜。私もせっかくだから写メろ〜」


テンションMAXを、おさえておさえて、狙って来たんじゃないよ感を出して「ラッキーな人」を装いきるところがあさましいが「せっかく」っぽく望みは叶えられた。

✴︎

本宮の参拝を終えて一番の目的の干支守をさあ購入というところで

あれ?


カバンの中の財布が 無い?

おわおわおわおわおわおわおわおわおわおー

落とした!?


大鳥居の朝日に気が急くあまりに、高速道路の料金の支払いした後に財布をどうしたのか全く記憶がない。


多分車内に残されているのだろうが、車外や、浮かれた道中にポロリと落としていたら?
ヤバイヤバイヤバイヤバイ(汗)

「旦那様……」

「財布が消えやした」

「!!!!!!!!!!!!」



踵を返す
(読み)きびすをかえす(かかとの向きを逆にするの意味で)
あともどりをする。引き返す。

例文 : 財布を忘れたことが恥ずかしくなり、私は踵を返して駐車場までの道のりを下を見ながら歩いた。




案の定車内の座席に財布は置いたままだった。

ほっと一安心で再び内宮へ戻り、これまでの参拝では行ったことのなかった別宮と呼ばれる荒祭宮と風日祈宮を訪れ、心は落ち着き、日々の衣食住の有り難さに向き合った。


さて


以前テレビでタレントさんが
「お賽銭って、感謝の供物だから今自分が出せる気持ちの金額で十分で、手持ちが無ければ出さなくても良い、人から借りてまで出さなくても良いと思ってる」のような事を言っていて痛く感心した。

目的の 「干支守り獲得」は
一分一秒を争う

なので財布探索の前に旦那様に借金して購入した。


借りた大金で縁起のものを手に入れる


これはバチあたりなのか
最善策なのか


「あのタレントさんの言葉が頭の中でぐるぐる回るケド、コレはソレとは別件でさ、わかるかなこの意味?ちょっと一旦切り離して。だって探してる間に売り切れたーーーなんてことになったらもうこれは一体なんのために?アレレレ?てなっちゃうじゃんだからお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いします…」



願いを叶えるのは神様ではない
自分自身なのだ

望みを叶えるためにはちゃんと伝えるのも必要だ

「こうした方が良い」はあるけれど「しなければならない」ではない。迷った時はみんなが良い方向へ向かえる道を選ぶ。その連続なんだ。

みちしるべ猿田彦神社に向かい手を合わせながら自分の行いを見つめ直してそう思った。

なんだかんだ私の目的は全て達成出来た

さああとは旦那さんの目的の美味しいものを食べよう


〈おわり〉(予定)

再掲載でーす

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