その叱り方は果たして教育と呼べるのか?
皆さん、こんにちは。きんたろーです。
今日は、部下のいる全上司の皆さんや教育に携わっている全ての皆さんに向けて「その叱り方は果たして教育と呼べるのか」というテーマでお話ししていきたいなと思います。
とはいえ、これから書くことの結論は正直僕もまだ分からないところで明確なオチはありません。
今この文章を書きながら思考を整理していますが、それでも正解が分からない、そんな状態です。
なので、この記事を読んでいただいて【教育】について皆さんなりのご意見があればぜひお聞かせください。
この間、娘を叱りまして
僕には2人娘がいるのですが、上の子は現在2歳です。
わがまま盛りと言いますか、毎日嫌だ嫌だの大合唱です。
そんな中先日、夜ご飯を頑なに食べないということがありまして。
まぁ、それだけならよくあることなんですがその日はいつも以上に「食べ物で遊ぶ」に加えて「水をこぼしてはしゃぎまくる」という状況で、さすがにこれは怒らなきゃいけないなということで、かなり本気めに叱りました。
ただ、こんなものが効くことはなく相変わらずヘラヘラしながら遊んでるんですね。
で、ここで僕は切り札を出したわけです。
そう、「鬼さん」
蚊が蚊取り線香を嫌いであるように、子供は「鬼さん」というワードが嫌いだということは全国共通だと思うんですが、とはいえこのワードを使うこと自体あまり好きではなかったので多用はしてきませんでした。
ただ、この時ばかりは僕も心穏やかではなかったのでつい衝動的に言ってしまったんです。
きんたろ:「もういい、わかった!鬼さんに電話するね!」
娘:「だめ!鬼さん嫌!」
きんたろ:「○○がご飯も食べないし、遊ぶからでしょ!」
娘:「いやだぁぁあ(フニャフニャ言い出す)」
きんたろ:「連絡したから連れていくね。はい、おいで」
ここで娘を抱き抱えたんですが、当然号泣です。
で、観念したのかテーブルに戻って半泣きの顔でご飯を食べ始めました。
はい、とまぁこのような出来事があったんですが、ここからはこの出来事を通して感じたことを少しお話しさせてください。
力を使って言い聞かせることは果たして教育と呼べるんだろうか?
まず結論。
「これは本当に教育なんだろうか?」と、娘が半泣きの顔でご飯を食べている姿を見てそう思いました。
なぜなら、そこには納得感なんてものはなく力で制圧された感が満載だったからです。
確かに、親の言うことを聞いて「ご飯は食べるようになった」のは事実です。
もし教育の定義が「親の言うことを聞く子になること」なら僕の行為は成功かもしれませんが、ご飯を食べている娘の姿を見てなんか違うなと。
その叱り方は誰のためか
その後、(今もですが)僕がずっと考えていること。
それは、「叱る」という行為を行うときに…
①自分の怒りの感情をただぶつけたいだけなのか
②(叱る)相手のことを本当に変えたいと思っているのか
ここ、多くの人が「②だ」と言うかもしれませんが本当にそうでしょうか?
僕は意外と①の人の方が多いような気がしています。
もう少し具体的に言うと、「自分は②だと思って怒っているが実は①だった」というケースになっていないでしょうか?
とはいえ、偉そうにこんなことを言っている僕自身も振り返ってみると「①」の方が多いような気がしています。
ちょっと、この辺りをもう少し掘り下げてみます。
怒れる理由があると間違った怒り方になる
子供を叱るときというのは、一般的に考えたらほぼほぼ怒られるに値するようなことを子供がやっている場合が多いので、「怒られるべくして怒られる」構図が出来やすいです。
そうすると親は、明らかに子供が怒られるようなことをしているから「正論でぶん殴れる」スタンスが取れてしまうわけです。
そうなった場合、怒る理由がこちらにはあるわけなので仮に怒り狂ったとしても、それは「子供が悪いことをするから」という大義名分ができてしまう。
要するに(これは解釈ですが)、「怒る側の人間の中で怒ることがある種正当化されてしまう」ということが起きます。
こうなると、自分は正しいことをしているという錯覚に陥るので、「ここで強く怒ることは教育の一環なのだ」という解釈になってしまうと思うんです。
さて、ここでもう一度先ほど提示した2つの問いを思い出して欲しいんです。
我が子や、部下、友人、チームメイトに対してきつく怒っている状況を思い出して欲しいんですが、その状況の時皆さんは①と②、どっち要素が強いでしょうか?
僕らは「怒れる理由があるとき」こそこの2つの問いを強く考えた方が良いなと、先日の娘との出来事を通して強く感じまして。
迷惑をかけられたストレスを発散する怒りになってないかい?
これ、上司と後輩の関係でも同じことが言えると思ってまして、現場で後輩がやらかすなんてことは結構あると思うんですが、この瞬間に上司の方にとっては「怒る理由」ができるわけです。
なので、頭ごなしに怒り散らかすのはできると思うんですが一つ立ち止まって考えてもらいたいのが
「その怒り方は自分に迷惑をかけた後輩にストレスをぶつけたいだけじゃないのか?」という問い。
その上で、「その後輩は怒りをぶつけなければまた同じ失敗をしてしまうのかい?」という問い
この2つのことをちょっとでも考えることが出来るのだとしたら、もしかすると少しだけ相手に寄り添った「怒る」に変わるかもしれません。
「怒り方」について偉そうに話してきましたが僕もまだまだで。
つい衝動的に怒ってしまうことが多々あるし、その度に「まだまだだなぁ」と思うことばかりです。
だからこそ、この記事は「教育をしなければならない立場にある人」はもちろんですが、僕が僕自身に対して言い聞かせるためにもちょっと言語化させていただきました。
というわけで、今日は終わり。
皆さんの教育の考え方、ぜひ教えてください。
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