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九嶋のひとりごと

元素検定、という、元素に関する知識を問う楽しい検定があります。その検定に物販として2023年9月30日に参加させていただきました。

元素を好む方“だけ”に販売すること。
実はものすごく緊張していました。

ただ、元素が好きなだけで、専門的に学んだ理系でもない俺。ただ好きなだけで突っ走ってきた、ただの同人作家。

ずっと、ずっと
「俺なんか」
がこびりついてました。

結論、「俺なんか」じゃなかった。

元素検定での物販の際、7月の博物ふぇす!で俺のスペースに来てくださった親子さんとまたお会いすることができました。お子さんは元素周期表のTシャツを着ていて、似合っていてかっこいい!俺は博ふぇす!の時も「似合う!」などとテンションが上がったのを覚えてます。9月30日も同じTシャツを着ていました。もちろん似合ってて、また俺はテンション上がってワイワイとしてしまいました。(いつもうるさい俺…)
その親子のお母さんが帰り際に「くしまさん!くしまさん!また会いましょう!」と声をかけてくださいました。

俺、それが訳わからないほど嬉しかったんです。
まず、これが1つの俺の鍵を開けました。

元素検定での物販を終えた後、同じく物販をしていた作家さんから、「たくさんファンの方来てましたね」と声をかけてくださいました。
「ファンだなんて、そんな、大袈裟です、みんなが良い人で助けられてるんです」と俺は返しました。
これは本心で、事実です。本当にみんなが俺の下手くそ日本語を拾ってくれる力があるからなんとか成り立ってるんです。

俺は話すのも、というかコミュニケーション自体が苦手で、実は集団の中にいるのが困難な人間です。よくコミケにいるな、と思われるかもしれませんが、コミケとかの同人即売会は自分のスペース、という領域があって、その中で来てくださる方と接するだけなので、慣れたこともあってまだ大丈夫なんです。

ひとまずファンかどうかは置いといて、作りたい、だけで突っ走ってきた俺のスペースに、元素を好きな方が来てくださったこと。買うとか買わないとかは置いといて、見にきてくださったことが、俺は良かったと思ったと同時に、自分をめちゃくちゃに恥じました。

その恥とは、多分、作りたいだけで作ってるという浅さやら、ですが、何より
俺は俺のことを軽んじていたことです。

学歴にも、というか俺の人生自体に劣等感しかなかった、自分です。コミュニケーションも難がある。何かと迷惑ばかりかける。他人を意図せず不快にさせてしまう。
そんな「俺なんか」

どうせ、俺なんかがやることだから、と。自分なんかはただの同人作家だから。と。

俺を認めてくれる方々に背を向けていたのも同然でした。
元素を好きな方が、認めて俺のところに来てくれて、ものを買ってくれたり声をかけてくれたりする。
また会おうと言ってくださる。
購入したとツイートしてくださる。

もちろん今までのイベントやイベント後の反応、普段の反応ももちろん嬉しかったです。響いていたんです。ちょっとずつ自己肯定感は上がっていて、少しずつ周りを見れるようになってきて、少しずつ人に対しての恐怖とかは減ってました。自分のままで居て良いんだ、と安心できるようになってきていました。なので、どんどんうるさい俺のままでイベントでへらへらと笑っているようにはなってきてはいました。

9月30日、イベントが終わって、そこから全部が繋ぎ合わさって、2つ目の俺の何かの鍵ががちゃんって開いたんです。そうしたら、次々に見える景色が変わっていきました。


九嶋は充分に、いつの間にかちゃんとした「作家」になっていた

俺なんか、の、俺。
卑下、謙遜もいいところ、俺はどうしても、どこかで自信がなかったんです。自分を、信じていなかったんです。

好きだから、なんとか自分の好きを認めてほしい。
学校に行ってないけど、それでも愛があることを認めてほしい。

それが多分、俺の承認欲求の根幹でした。自分の薄っぺらさをどうにか誤魔化したい気持ちもありました。恥と自覚するが故に、自分を守ることに必死だった面もあります。
そのことばかりに気を取られて、充分に向き合えてないところがあったと自覚できたんです。
自分自身にも、他人にも、大好きな元素にさえも。

もう、気づいたら俺は作家になっていたんです。俺の作品を楽しみにしてくださる方がいて、またイベントの時に会いたいと思ってくれる方がいて、次の作品を楽しみにしてます、って言ってくださる方もいるのに。

俺は、自分を信じてないで、保身やら、で。大事にしたいものを優先できていなかったんです。作品も、待ってくださってる方々のことも。
一番の俺の真摯な行いは、作品を作ること、更新すること、やると言ったことをやり通すことであって、

俺が、大好きなことを最大限に表現することであって

傷つきたくない、傷つけたくない、と自分に鍵をかけることじゃなかったんです。

俺は、作家になれてたんです。それなのに、自分は自分なんか、で何もかもを台無しにしていたんです。自分を信じてないせいで、楽しみにしてくれていた方々を裏切ってきたようなものなんです。

ぐるぐると悩み続けていたことが全部、どうでも良くなって、全部、全力を出して尽くして俺の癖(へき)を出したいと思いました。
多分、それがこれからの俺のやるべきことな気がしたからです。

ずっとぐるぐるしていた

俺はちょっと、ズレています。
同じ表現なのに、言い回しの違いだけでうまく受け取れなかったり、素直すぎて(馬鹿正直すぎるとも言われます)なんでも全部、そのまま受け取ったりして、勝手に混乱してしまうことが多いんです。
これもおそらく俺のコミュニケーション能力を下げてしまう一因だと思ってはいます。

なので、求められることをそのまま考えて、自分ではそれがどういうことなのかが全くわからないまま、突っ走る、はよくやってしまうことの一つです。「欲しいって言われたから作ってみた」みたいな安直なことも割とやってしまっては、アレ…?も、多いです。

自分で考えられないんか?って思うかもしれないですが、考えているんです。でも、ズレた、考えになっていて、自分の中ではしっくりきていない、でも、でも、と悩むうちに期限が来たり。
次のアイディアが出てきてしまって、中途半端になってしまったり。

自分の次々に浮かぶ無尽蔵なアイディアと、自分のとてつもなく細かなこだわりは反対方向に引っ張りあっていて、いつも悩まされます。
この悩みプラス、自分には当てはまらない、人と違う考えやら…

俺は自由奔放自分勝手ではありますが、人に喜んで欲しくて行動している面もない訳じゃないんです。
でも、よくわからない、でも、動いてみないともっとわからない。じゃあ走りますか!と走って行く。

さらには、保身のせいで見えない景色もありました。
ずっと他人が「なんでそんなことで悩むの?」と思うようなことで悩んでいた気がします。

例えばこれとかも。


それらが、鍵が開いたことで全部どうでもよくなりました。
すごいですね、俺は、多分、10月1日ぐらいから、やっと本当の作家になったんだと思っています。

これからが本当に、全力を尽くして「作家」として動いていく

やっと、俺は作家になれました。
やっとです。

俺は、何かを与える人間にはなれないと思っています。作家だとしても、俺は誰かにプラスを与えれる自信はまだないです。
でも、マイナスで泣いていたり、怖がっていたり、つらそうな人のとなりに、何か言うわけでもなく、ただとなりにいるだけの、作家になりたいです。
もちろんその人が話したそうにしてたら、話を聞くし、背をなでて欲しいなら、背をなでます。

俺は自分本位で、優しくもない、良い人でも無い、未熟な人間ですが

多分、作家として一番にやりたいことは「誰かに寄り添うこと」だと思っています。

俺が、寄り添っていただいたんです。いろんな方々に。支えられて、認めていただいて、なんとか作家になりました。
今度は俺の番だと思っています。俺が作家として、まだまだ未熟だけど、烏滸がましいかもしれないけど、最終的な目標は、寄り添う人になること。
寄り添う作品を作ること。

俺らしく、俺のままで、いっぱい楽しみながら
全力を尽くします。

気づかせてくださり、本当にありがとうございました。頑張れます。

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