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九嶋のひとりごと⑤

4月になった。だからといって何かがあるわけではない、俺なんだが。
同じことでぐるぐるしてる気がしている。

人間は簡単には変われない

当たり前なんだけど。
「これやめる!こう変わる!」と宣言して動こうとしても、そうは簡単にいかない。
というのも、人間そもそもに変化するということが苦手らしい。いつも通りの習慣というものに戻ってしまうらしい。これもある意味、恒常性とのこと。

だから俺が9月にきっかけをいただいて、懸命に今までとは違うぞ!と踏ん張っているわけだが、
「九嶋は何をやってるんだ…?」
と、全然周りから見てもわからないわけです。自分自身も、同じような問題に何度もぶち当たっている気がします。


「全部捨てたいなあ」を繰り返している

九嶋のひとりごとを読み返すと、
「捨てたい」「全部いらない」
などが出てきてる。正直同じようなこと言ってるなあ、と思う時もある。

最近も、「全部捨てたいよ〜〜〜」で大泣きしている
捨てたいのは部屋にある、もうハマってないフィギュアとか、もう着ない洋服とか系統が変わったもの全部だろうし、単純に部屋を整理したいのもあるし、今までの自分、全て根こそぎ捨てたいのもあると思う。

なのに、なかなか変われない。捨ててるけど、全部をゴミ箱に突っ込めてるわけじゃない。
理由をつけて動けないままでいる方が安定していることもあるし、捨てるってこと自体、かな〜〜〜りの労力を使う。

ただでさえ春先に消耗していて、体調もそんなに元気ハッピーハツラツだぜ!ってわけじゃないのに、「捨てたい…」というのも結構酷な話。

でもそれでも今回こそは変わりたい、今までの自分とはおさらばしたい、だからこそ動けないくせに、こうやって文章にしてなんとかゴネゴネともだもだとはしているんだと思う。
このひとりごとは脳みその整理整頓でもあるので…。


「しなければならない」に聞こえてしまう認知

いきなり話が変わるんですが。
俺が捨てたい捨てたい、という中に、この、「しなければならない」という勝手な思い込みの積み重ね、つまりはログを捨てたい、という気持ちもあるとわかったんです。

どうやら俺は、他人からの言葉が「MUST(〜しなければならない)」に聞こえていると、気づいたんですね。

というのも、漫画をかいてるんですが、
別に俺は人間なんかかきたくないのに、いつもかこうとしてしまいます。
理由は編集者に「人間をかかないと読者が共感できないよ」と言われた、その一言を忠実に守ってるだけ。やばいだろ?

他の人からアドバイスをいただいたり、他の知識や情報を入れても、一回入った「しなければならない」はなかなか消えないんです。

自分がいくら、「人間かきたくないなあ」と思ってもなかなか抜けない。
かかないと、ダメなんじゃないか…と切迫、逼迫するような感覚さえあるんです。

これが、漫画だけじゃなくていろんなことに対してかなりあります。かなり、ある。他人から言われたことを、「そうしないとダメなんだろう」と勝手に思い込みやすいんです

勝手な思い込みなので他の方は何も悪くないんです。もちろん、当然。

この少し歪んだ俺の認知が、俺のやりたいことを遠ざけていたんだとわかったんです。

この認知を自覚できただけでもやった〜〜〜〜〜〜と思っています。

そして、今まで積み重ねてきた、その思い込みも捨てれたら最高なんですが……それはまた、認知行動療法でなんとか…なんとかやるしかないんですね…

「自分の大好き」に向き合ってるが、なかなかうまくいかない

今、自分の大好きなものに改めて向き合ってますが
例えばロリィタ服とか。

それをきてる自キャラをかきたいのに、実は全然うまくかけてません…。

自キャラをもっと、おしゃれな洋服だったり、もっと元素らしさを強調したりと頭の中に理想はあるんですが

理想がデカすぎなのか、自分の技術が追いついていない状態、まさしくスランプです…

春の体調不良に、スランプまで重なって結構メンタルにきてますが
ゴリ押しというか、やるしかないなあとなんとか転がってます。転がりまくってるうちに思いつくこともあったので、生きてるなあ…と思います(?)

あとは積み重ねてきたものが意外と自分をつくっている、ということですね。違うはずの自分も、適応するために作った自分というのも、いくら自分がこんな自分は俺ではない、と思っても

結構、強い自我を持っているみたいです。

このまるで二重人格のようになってしまっている自我というものを、うまく統合させていくのも今後の課題なのかもしれません。


まあ、焦らず。焦ってもいいものは作れませんので。
一歩一歩進もうと思います。

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