演劇の学校へ通ってみて思うこと、分かったこと
昨日、劇団の後輩で同い年の小林春世と、インスタグラムで会話しました。インスタライブというやつです。
彼女はいま、文化庁の研修制度を使って、約1年間、NY (ニューヨーク)に留学中なのです。
ライブで見られた、背景のNYの街並みはとてもキラキラしていたけれど、そこに居る小林春世もキラキラしているように見えたし、「なんだか髪質も良くなったな」と、口にはしなかったけど、気持ち悪いことを思っていました。
学ぶって、いいもんです。
学び直すってのも、いいです。
学び続ける、のも素晴らしいです。
わたしの「演劇を学んだ」おはなし。
演劇を職業にしたくて18才で上京したわたしは、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻へ入学しました。呪文のような学校名です。今は名前が変わって、もうちょっとコンパクトになっていると思います。イオナズン→イオラくらい。
初めての一人暮らし故のコントロールしきれない自堕落な生活によって、次第に授業を蔑(ないがし)ろにしていきました。
「演劇は習うもんじゃねー」と尖った思考を持っているくせに、なんだか志だけは高くて、禁止されていた校内での自主公演を企画してみたり、卒業生が主催する外部公演の手伝いや出演をしていました。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
ある「演技」の授業でのことです。
タオルを丸めて、5〜6メートル先のバーに当てろ、と言われました。当たらないと地獄に落ちるという設定を課されました。
生徒たちが次々にチャレンジしては、「わー」とか「やったー」とか言います。
一通りやり終えたところで、その教授は言いました。
「お前ら本気でやっているのか!本気で地獄に落ちると思ってやったやつはいるか!本気でやれば、そんなテンションなわけないだろう!」と。
わたしは思いました。
たしかに本当に地獄に落ちると思ってやっていなかったな、と。
一方で、お前に地獄の何が分かるのか、とも思いました。
その後の再チャレンジでは、阿鼻叫喚の地獄絵図になりました。
バーに当てることができて狂喜乱舞する人もいれば、当てることができず、「お母さんー!」とか言って膝から崩れ落ちる人もいました。
なんだこれは。
わたしは思いっきり引きました。
なんか少し、絶望感すら感じていたと思います。
あと少し、感じるスイッチが違ったら、演劇を嫌いになっていたかもしれません。
それくらい、目の前の理不尽な設定と、それをなんの当てもなく熱っぽく演じる生徒たち(とは言え彼らは一生懸命やっているだけで悪くない)が作り出す世界に、反吐が出そうでした。
当時はあまり自覚しませんでしたが、そこから、いい意味で演劇と距離を取るようになったと思います。
演劇と自分の演技を、客観的に見るように務めることにしたのです。
この「客観的に見る」ことが、これまでのわたしの役者人生の中で大きな方法論のひとつになっています。
ジャズダンスの授業とか狂言の授業とかタップダンスの授業とか、もっとちゃんと出ておけば良かったと後悔しています。
でも、この衝撃的な体験をしただけでも、大学に行って良かったなと、今なら思えるのです。
演劇は心を使うデリケートな作業です。
あまり没頭しすぎたり、信じ込みし過ぎると、やり過ぎになって見ている人は逃げていく恐れがあります。
心を壊してしまう恐れもあります。
それから、演劇的手法で心につけ込まれて、洗脳などにより、悪質な勧誘や宗教に引っかかる恐れもあります。これは平田オリザ談。
冷静に見つめることが重要だと考えます。
ただ、だからといって何もしない、飛び込まないのもいけません。
「知ること」「体験すること」を放棄することではなく、むしろ積極的に行なって、自分や作品ごとに合うもの、合わないものを取捨選択していけばいいのです。
その選択肢が多ければ多い人ほど、迷うでしょうし、悩むでしょうが、それが演技における成長の痛みだと考えます。
というわけで、「演劇は習うもんじゃねー」と思っていた若かりし自分に言いたい。
「習おうと思っているからいけない。触れてみて、自分なりに感じるだけでいいんだぞ」
そんなことを言ってくれる大人がいれば、わたしはもう少しちゃんと、授業に出ていたかもしれません。
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