劇団公演を終えて

昨日、キャラメルボックス2021クリスマスツアー『サンタクロースが歌ってくれた』の神戸公演、東京公演が無事に終了しました。

カーテンコールでのご挨拶などでも申し上げましたが、「キャラメルボックスとして」作品をお届けできること、「キャラメルボックスの仲間たちと」ひとつの作品を作れること、とても嬉しかったです。

そして、関わってくださったすべての皆様に感謝しています。

ありがとうございました。

なにから書いていけばいいだろう。

復活公演の演目を聞いて、最初に「芥川」のオファーをいただいた瞬間は単純に嬉しかったです。

また劇団員と芝居が作れる。キャラメルボックスの作品でお客さんと会える。そんなことを想像してワクワクしました。

そのあとに、復活公演という特別な公演で、自分でいいのかという気持ちがムクムクと沸き起こってきました。

昔から劇団を応援してくれる方にとって見たいのは、わたしじゃないだろうと。

自分の姿がチラシに載り、自分の名前が一番上にクレジットされることが、とてもプレッシャーになったのです。

さらに「サンタクロースが歌ってくれた」は劇団の代表作ではありますが、わたしは入団してから客席と映像で数回ほど見ているだけであり、この作品を過不足なくお届けする力量と器と理解があるのかも不安でした。

稽古初日の読み合わせから、周りの劇団員はほとばしっていました。

この公演にかける意気込みと、共演者とかこの作品に置いていかれないぞというエネルギーと、このメンバーで台詞を掛け合う喜びみたいなものを感じました。

もうそれはちょっと使われていなかったケチャップのようにドバドバって感じです。

この空気を感じられただけで、もうなんだか得るものはあったし、ますます身が引き締まる思いでした。

稽古の中、改めて演出家・成井豊をリスペクトできました。

稽古場の回し方や、事前に伝えられる稽古スケジュール、簡潔で過不足なく伝えられるダメ出し。

プロデュース公演の現場で客演の俳優と渡り合ったり、俳優教室などでの若い俳優たちとの交流によって磨かれたものなのだと思います。

わたしが言うのもなんですが、成井さんも成長しているのです。

俳優は現場にたくさんいて、いいところをお互い盗みあったり、人の振り見て我が振りを直してみたり、比べられる環境に身を置きやすいのですが、演出家って基本的に現場に一人しかいないもので、他所の仕事ぶりを見合うことができない職業です。

なのでこれは、すんごいことだとし、これまた勝手に劇団の未来において、ええことやなぁと、何様のように思いました。

2004年に入団して、15年以上成井さんの現場にいるわたしにとって、緊張感がありつつも、居心地のいい、稽古に集中できる稽古場がそこにありました。

稽古開始時間の1時間前に稽古場に着いたら、もう何人か劇団員がいて、おのおのストレッチをしたり、台詞やネタの打ち合わせとか、雑談交じりに始まっていて、この空気感もなんだか懐かしかったです。

「ここのネタどうしよう」とか「この台詞と台詞の間はどうしたらいい」とか「今日はこうボケるからこう突っ込んで」とかいう擦り合わせが自然発生的に始まったり、かと思えば全然打ち合わせしていないリアクションが、立ち稽古一発目でみんなで揃っちゃったり。

2年半の期間は空いたものの、潜在的にある「キャラメルボックスたるもの」の意識は初めから統一されていて、これが劇団員による劇団公演の稽古場なのだと思いました。

その中において、わたしのプレッシャーや不安も次第に解消されていきました。

よくお芝居を、リレーのバトンを渡していく作業だと例えれたりもしますが、今回は個人的にみんなで大縄跳びを飛んでいる感覚でした。

それぞれのキャラクターに個性や見せ場はあるものの、全員がひとつになって、この作品を動かす感じ。自分が出ているシーンだろうが、そうでなかろうが、みんなで息を合わせる感じ。

そして、わたしもキャラメルボックスを動かす血脈の一筋に過ぎないのだと思えたのです。

こう思えたことで、みんなで大縄跳びを飛ぶことにやりがいも感じ、楽しくなってきました。とっても基本的なことですが、意識を「自分」から「全体」に広げることができたのです。

勝手に悩んでいただけですけど、そんなことに気づかせてくれた共演者たちに、これまた勝手に感謝しています。

「サンタクロースが歌ってくれた」は神戸公演で幕を開けることができました。

名前が変わってしまったけれど、AiiA2.5シアターはキャラメルボックスにとって、さらにはクリスマス公演にとって、とっても思い出が深い劇場です。

久しぶりに降り立った新神戸の地は、あのころと変わらず澄んだ空気と、山から下りてくるイノシシの視線に溢れていました。(結局出くわすことはありませんでしたが)

楽屋とか客席とかはリニューアルされてキレイになっていました。が、基本的な構造や空気感は変わっていなくて懐かしくなったし、ここで上演されたいろいろな演目や思い出を思い出しました。

本番前の場当たり、ゲネプロ、訓示や気合い入れなどの時間を経ていくと、いよいよだなぁという気持ちが高鳴りました。

満席の客席と、西川さんのアナウンスによる「ただいまより開演いたします」のあとの拍手を袖から聞いていて、今まであまり感じたことのない高揚感と、「やるしかないぞ」という、あくまでもポジティブな、捨て身な覚悟のようなものを感じていました。

ぶわーっと走り続けて、ラスト10秒。「走り抜けたなー」と思う瞬間、最後の振り落としの仕掛けが引っかかちゃって、一気に力が抜けました。悔しかったけど、なんとも我々らしいというか。個人的にはきっとふにゃふにゃとした表情のまま、暗転していったと思います。

カーテンコールでの光景と雰囲気は素晴らしすぎて、ありがたすぎて。

わたしが挨拶することになっていましたが、ここでまた稽古が始まる前に感じていた畏怖というか、恐縮がやってくるのですが、もうそんなもの感じている場合じゃないと自分を奮い立たせて、一歩前に出させていただきました。

感染症対策の一環として、劇団恒例の仕込みに参加することは叶わず、滞在時間も短かったけれど、キャラメルボックスで神戸に来られたこと、本当に嬉しかったです。

東京公演も楽しく、幸せな時間であった思います。

なんだか他人事のようなのは、「芥川」で出ていく瞬間に、分からなくなるからです。

体力的にハードな上演が続いて、連日のお客さんからいただくパワーに気持ちはとっても明るくて幸せなんだけど、体はなんだか重たくて、心と体が乖離していくというか。

4時間後には板に乗っている自分に実感が沸かないまま、自分の体を劇場行の電車に乗せて、ウォーミングアップをして、時間になったら衣装を着て、舞台に飛び出していく。そうすると、4時間前の自分が嘘みたいに気持ちが動いて、体が動いて、台詞をしゃっべているのです。

30代後半になってから、役者としていま自分にできることとできないことの整理がだんだんと分かったつもりになってきて、さらには基本的に素の自分になど魅力なぞ無いという、謎の悟り感が出てきました。

そんなわたしがどうにか「芥川」を演じられたのは、素敵な衣装と、音響と、照明と、舞台セットと、周りの共演者と、なによりストーリー、そして「この人は芥川なんだ」と見てくださるお客さんの存在があってこそ、でした。

まだまだ自分に足りないものを感じさせてくれて、「ということはもしかすると俺、まだまだ上手くなれる伸びしろあるんじゃね?」なんて現金に思わせてくれた東京公演でした。

最終的には楽しかった、嬉しかった、てことが多く幸せな日々を過ごしていましたが、自分の演技についてとか、劇団についてとか、いち劇団員なりにいろいろ気づきもありました。

わたしに何ができるか、どこまでできるかわかりませんが、やはりキャラメルボックスのため、お客さんのために、これからもできることを精一杯やっていこうと思った所存です。

なんだかまだ書ききれていない思いもあるような気もしますが、今回はこの辺で。

わたしとっても最高のクリスマスプレゼントでした。

劇団はいいぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?