見出し画像

で、やるの?やらないの?

じぶんの至らなさを日々痛感する

稽古内容はさまざま

朝のワーク

はじめたて合氣道

新たな瞑想方法

念の訓練

おむすび結び

息子の髪の毛の三つ編み まで笑


(苦手なところは本当に何もできない)


そんなじぶんへの喝として

我の至らなさを抱きしめることもできず

嫌な部分は上手に切り離して

思い知らされることをスルーしながら

"成長したい"

ましてや

"人助けがしたい"

だなんて

おこがましいにも程がある

こころの内側


自戒ともいえる


時々SNSで観てしまう(流れてくる)

生きてる世界の

なんと薄っぺらいことを

露呈しては

氣付かず

披露しては

なにも思わない

というのが

逆に素晴らしく羨ましくもある


別にわたしが

ぶん厚い生き様

だと思っておらず

(ものすごい方々にたくさんお逢いしているため

どうすれば思えるのだろう)

すぐに

穴があったら入りたくなる

恥の連続

見栄っ張りのため

恥だけはかきたくない

でも

かかされる

こうやって書くと

慈愛が足りないのかもしれないが


中心を

神さまの御役に立つ

というところに

預けている、という認識でいる

もちろん、つもりなだけで

できる限り預けたい

これも書くと 薄すぎて

後から見返したら

ぜったいに消したくなるくらい

預けられているはずもない

それほど弱いし 流される

わかる人には見抜かれている

家族や友人やご縁ある方々の支えで


ここに立っているわけで


そう

この世界は

なにもごまかせない

人のお役にたつよりも

じぶんさえよければいい

そんなところに戻ったところで

愛のカケラも見つからない

この道を進むことを

じぶんで選択したのだから

至らなさなぞ

友人のようなもの

親友のようなもの


いちど

合氣道の黒帯のかたに

弱音をこぼしてしまった

さすがに稽古内容が

さっぱりわからなさすぎて

挫けそうになります と


黒帯のかた いわく

初めての挑戦には

それが当然の反応です と



そこで

わたしはようやく

安心感をいただくのである


もしあなたが

至らなさで挫けそうなとき

わたしも同じです



自信をもって伝えられる


で、

そのうえで、

その弱音を吐き出してでも

恥をかいてでも

で、やるの?やらないの?


ただそれがあるだけ


恥をかきながらも

わたしはやらさせていただきます

という姿勢であり続けたい

そのように差し向けてくださる

すべてに

感謝と敬意を

合掌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?