アマゾン植物療法-ハペ-
目に映らない神様/霊性/祈り/魂 的なこと
紡がれた想いや築かれた感性のこと
KINPLUS目線で捉えたハペのこと
🔴霊的知識が私たちを解放する理由 霊的知識について考えるとき 私たちに忘れがちな大切なことがある それは この知識が 私たち一人ひとりを 束縛から解放するために存在している ということ 今回は 霊的知識の真の価値と それを受け入れるための準備について記す 🔴受け入れるための準備 霊的知識は ただむやみに与えられるものではない 私たちの魂や精神が その知識に相応しい状態でないと 理解することはできない (もちろん私が理解しているわけもない) 心が その知識を受け入
構わず進め 世間の非難、中傷に構わず たとえ 陰謀論者とはやしたてられたとて ひたすらに ご自分の心の中のヒカリに 忠実に従うこと それ以上のことは 要求しないし されない ∴ 真の信仰を身につけるチャンスは すべてのことが順調に いっている時でなく 生きていて 当たり前に写っていた 眼の前の景色のフレームが ぐにゃりと曲がってしまうような そんな場面 ∴ 比喩としての 暗黒のなかにいる時や 出口のない洞窟の中にこもる時や ひとり孤
「知っている」 ということ と 「それを応用させる」 「日常生活に適用させる」 ということ では 天と地の差ほど ある ∴ 実生活に活用しない限り その知識を会得したとは 言えないのである ∴ これは 地上生活 / 3次元生活 と区切るのではなく 霊界と繋がっている ということ ∴ それを 見事に顕してくれる存在と 出逢えることが奇跡であり あなたの引き寄せた証である ∴ 死んでから霊的な存在、ではなく 本質的には いまと同
なにかを自覚してしまうような氣付き 人によっては それを 産まれながらに持ち合わせていたり 人によっては なにかしらの出来事を通じて ほんの数分で訪れたり 何時間であったり 何ヶ月であったり 何年であったり はたまた 何百年であったり 何世紀であったり と 時間の掛け方に違いはあれど いつかは 自覚意識が芽生える ∴ その芽生えの意識こそが 真の軸となる (らしい) ∴ だから 死んだあと(肉体を離れて) 氣付いても遅いことはない
その席空けずに 何もかもが欲しい という 精神性が疫神を呼んでいる 安心欲しくて 挑戦欲しくて 認められたくて 優越感じたくて しかも そんな自分に酔いしれることなく それでも 尊敬されていたい 必要とされていたい 願わくばこのままの生活で ボタンひとつで のぞみ通りになるような そして それは いつの日にか 向こうからやってくると おのれの楽のためならば すべてを犠牲にしてしまうような 生氣抜きとる社会のレールが 霊的な覚醒を
うっとりするような お月さんに出逢えたとき ∴ それは いつも変わらず浮かんでいるのだが そのとき時々の地球からの見えかたと じぶんの状態とが重なりあって 「うっとり」 を 産み出してくれる ∴ うっとりするような お月さんに出逢えたとき ∴ それを「愛でる」氣持ちを じぶん以外のだれかと 同じような感覚で分かち合えたら それは地球人としての最高のよろこび ∴ なにかしら それぞれにいろいろあるだろうが そのすべてを 「身魂磨き」
「自分を想える量」 が 「神様を想える量」 そのようなことを聴けた ∴ それ すなわち 自分たらしめる要素 のことを想うこと ∴ 我々 等しく 神の子 神様とは 自然含むすべてを指したいのだが これは言葉だと 限界あるゆえ 誤解なきよう 善きように お捉え頂き ∴ 神様想えるひとつの術としての 7つのワークがあり これお伝えすることを ひとつのライフワークとしている ∴ このワークが降ろされたのも 神さまからなので (直
"じぶん" で "じぶん" の 領域を壊して 垣根を甘くして それを "やさしさ" と 勘違いしてました ∴ わたしは わたしを 尊重します わたしは この魂の 尊厳を守ります そのことを 祝福に感じます ∴ 底に陥ったときに なにを学んできたらば だれかの喜びに変わるだろうか ∴ そのような姿勢にこそ 人間らしさと神様が 同時に宿るんだなあ、と 弥栄 ∞ 感謝
続き このオンラインサロンが とにもかくにも ハードすぎた ∴ 風変わりのかた 型破りのかた スピリチュアルパッカーンなかた とりあえず入ってみた なかた が 集中して 一点に集まると そのエネルギーたるや その半端なさは いま思い返せば あれは あの爆発力は なんだったのだろうかと ∴ サロン内では 最先端テクノロジーを取り入れ 仮想通貨を自ら発行する側となり そのやり取りで運営する 一種の村のような そんな世界観 ∴ バー
続き わたしがYouTubeに じぶんの想いを吐き出したり ギターを弾いて唄ったり ありのままを 吹っ切れたように いろいろアップしていると すこしずつ認知されるようになってきた (当時YouTuberがまだ少ないため) ∴ 恥ずかしながら これでご飯食べられたら理想的かも なんて すぐに楽しようとする クセも 同時に出てきたりと 今だからこそ 客観的に感じられる ∴ そこでひょんなことから繋がったのが とある職業シャーマンのかた ∴
続き 当時の 淡路島にいたころのわたしは 「やりたいことしかやらない」 の 誓いを一度でも破ると 今世 じぶんという魂の在りかに 戻ってこれないような氣がしていた 我が子やパートナーに たとえつらい想いをさせたとしても ∴ やりたいことなぞ 見つかりやしない 20歳のころ 流行りの「自分探し」に触発され インドへひとり旅にいったとて やりたいことなど 見つかりやしなかった ∴ お金もなければ やりたいこともない 鬱々と過ごす日々 その
続き 放浪生活が続いてたため まいにち楽しいことばかりであったが お金を稼ぐことに関しては とても苦手分野であり まるでニートと呼ばれる生活 必要に迫れば 季節労働などをして やり繰りしていた ∴ 家族を支えるには ギリギリ以下というところ ∴ 当時 スマホも持っておらず 家にWi-Fiも繋いでおらず インターネットの世界とは ほぼ無縁であったわたしが 「ビットコイン」 という単語をどこかで聞いたとき 謎にビビっときてしまい (キャッ
続き ∴ 家族にもたくさん迷惑を掛けた ダンボールの上で 食事をいただく生活 当時たしか三年生になる息子が じーちゃんばーちゃんからもらった お小遣いを拝借し ドラッグストアの安売りしている 18-21円の 豆腐やもやしを食べる ∴ クーラーもついてない 夏は暑いし 冬は寒い 暖房機すらなく 奥さんがどうにか捻出したお金さまで アラジンストーブがきたとき それを囲み 暖をとっていたのを 懐かしくおもう ∴ そのような体験の 数上げれ
続き ハペを扱うにあたって だれかに憧れを抱いた わけでもなく こうなりたい とかもなく ましてや 人様の御役に なんて思ってもなく (いや 思ってはいたが 「思える質と量が絶望的」という意味合い) "流れ"のまま 他人様に対して ハペのセッションをするようになっていったのは 2019年ころ ∴ ハペを最初にいただいたのは 2015年の7月21日 淡路島の諭鶴羽神社でのセレモニー (よく覚えていたなと感心) ただ しっかりとしたセッションでは
ハペセッションとは? この問いは 人生とは? という流れそのものであるため 一言で表すなら "愛" とか "氣付き" なのだが ∴ では 愛とは? と言われると 長くなるので答えられない ∴ というか 伝えたい内容が そのまま伝わるのか? という点において いろいろと前置きしなければならないため これが また 難しい ∴ そして そもそも 他人様に伝えられるほど なにも識らない というのが本音 ∴ かといって いつか
これ 誰にでも当てはまる 法則なのだが (よく観てきた) そんな面倒なものに 向き合うくらいなら 楽しい を選べばいいよね〜 というような その場しのぎの選択を 採用し続けていると ∴ 脳が "楽" を覚えて 知らぬ間に どのような波動で暮らしていくのか まで 影響を及ぼしていく ∴ 意識や無意識が わざわざ現象界に 印として現れてくれて とってもわかりやすいよう 報せてくれているのだから それを放ったらかすことなんて... ∴