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ノートを棄てる日

7年前、私は看護師という肩書を持つことを選んだ若者だった。

今でも思い出す。
卒業直前、生徒が集まる教室で、厳しいが大変優秀で、授業も人気だった教授が言い放った言葉を。

「皆さんは打たれ弱いです」

真正面から受けた言葉に、私は深くショックを受けた。ショックを受ける自分に、ショックを受けた。
自分は、わずかなりともあきらめが悪く、あがき、真面目に物事に取り組もうとする部類だと思っていたからかもしれない。
しかし教授たちの目から見れば、どうしようもない面があったのだろう。

「いいや、そんなことはない。私だってなんとかなるはずだ」

結果は散々だった。

新卒で採用された大きな病院では仕事ができず、どこの病棟でも持て余すありさまで、2年目に満たない程度で辞めた。
4年間勉強した事実を大いに疑われ、自分はいったい何をしていたんだろう、と考える日々が続いた。
続いて就職した先では、そもそもの衛生観念を疑われて、大学生活を通り越して今までの人生を後悔した。

「このままじゃだめだ、変わらなきゃ」

どちらの職場でも毎日ノートを取って、あれこれ書き込んで、何とか働こうとした。
できないなら、自分で考えるしかないと思っていた。
勉強していたら、何か奇跡が起きるような気がしていた。
勉強法に関する本を読み漁り、コミュニケーションのための講座を受けて、趣味だったことからも遠ざかった。
何冊も勉強用のノートが溜まり、収入の大半は資料や教材を買うお金にあてた。最低限の貯金をのぞけば、ほとんどが本やデジタル書籍を買うために使った。

それで分かったのは、

「なんだ、私は、なんともならない人間だったんだ」

と、いうことだった。

勉強しても、しても、結局、頭に情報が入っても何か少し違うと活用できない。
例文通りの言い回しはできても、場に合わせた話し方につながらない。
誰かの荷物にしかならない。荷物になっているのが分かってしまう。
前日の反省をもとに今日の行動を書き込んだノートは、何の役にも立たなかった。

2つ目の会社を辞め、いくつかのバイト先を転々とした後、私はほとんど引きこもりのような生活に入った。
どうしたもんかと考えて、好きだったはずの着物にお金をかけた。それで気がまぎれると思ったから。
でも結局は、きもの屋の人がお金を出して買うとあれこれ話したりかまってくれたりするのが嬉しかったから、と気が付いてからは、酷くむなしくなってやめてしまった。

旅行も考えた。
でも、貯金は生きているだけでも減っていく。

ふと調べると、葬儀を出すには100万円ほどかかると分かった。

ノートに「100万円を貯めるには」と書いて、あれこれつづきを書いていく。働けば貯められるけど、その働くに自信がない。
そっかぁ、100万円かかるのか。これを貯めたら、いつでも消えられるなぁ。

そんなことを考えながら、気が付いた。

何かを書くことだけは続けている自分に。

たとえば創作。たとえばTwitter(X)。たとえば感想文。日記。メール。書きなぐり。ノート。

なんともならないけど、まだ文字を書ける。書いている。

もうこれしかない。これしかないんだ。

私はその日のうちにいくつかのクラウドソーシングサイトへ登録した。文字で食べられそうな話があれば、何個でも飛びついた。
成人指定の小説を代わりに書いたり、何時間もかかるタスクをこなしたり、何とかしてお金を稼いだ。
文字を書くことだけはできる、それだけはなんとかできる。そう思って、何時間もパソコンに貼りついて文字を書き続けた。

少しずつ貯金が増えていく。最初は1万円くらいだった。それが少しずつ増えて、2万、3万となった。

貯金が100万円に迫ったある日。

私は、学生の頃から性懲りもなく保有していた何冊もの勉強ノートを、棄てていくことにした

棄てていくノート

これはまだ、手元に残っているノートたちだ。
ビニール素材が含まれるので分別しなくてはいけないし、ひょっとしたら重要な情報も混ざっているかもしれないので、中身を確かめなくてはいけない。
向き合うのが怖くて、まだ手を付けられずにいる。

それでも、1冊ずつ、ノートを棄てていく。

貯金はあの頃よりも増えた。収入もある程度得られるようになった。
100万円は、別の口座にうつして、いつでも使えるようにした。
看護師を続けていたら得られたこともあっただろう。このノート達は、その「選んだ先」に続いていたかもしれない。

でも私は今、棄てることを選んだ側の未来に立っている。

なんともならなかったとしても。
打たれて折れても。
書く、ということだけは続けていた自分に気が付いた日を、また今日も積み重ねる。


#あの選択をしたから

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