結婚とリルモア強制退去の話①
交際8年目を間近に控えてタキちゃんと正式に結婚します。皆さんお祝いのお言葉とか色々ありがとうございます。人生最大のピンチも同時に訪れてますがなんとか笑えています。
折角結婚の発表なんて柄にもない事やっちゃったので、先ずはタキちゃんなくしては今の僕になってないって言う話をします。
僕がタキちゃんに一目惚れして、結婚して欲しいの一言で交際がスタートしてその2、3ヶ月後には同棲開始。急過ぎて周りの友達に色々言われたなぁ(笑)結局そこから8年間喧嘩したりもするけどずっと一緒にいるもんね。へへんっ
当時、僕は30歳になる直前で、タキちゃんは23歳。バンドも何もかもが1番上手くいってなくて八方塞がりな時期だったのをよく覚えています。
一度は全てほっぽりだしてライブハウスから消えてしまおうとまで考えたのですが、踏み留まらせてくれたのもタキちゃんでした。
そこから前のバンドを解散させて、これが最後のバンドと決めて結成したのがフライデーフラワーズというわけです。
タキちゃんはアメリカはアリゾナ州のナバホ居留地の中で、ネイティブアメリカンナバホ族のお父さんと日本人のお母さんの間に産まれたちょっと変わった女の子です。
フライデーフラワーズの準備をしてる時期にお父さんに会いにアメリカに行きました。3週間の滞在の間、日本で見た事のない壮大な景色に圧倒されっぱなしでした。
滞在中、色んなところに連れて行ってもらいました。当然、公共の交通機関なんて存在しないので車移動が基本で、その間ずっと音楽を聴いてて何を聴いても今までと違って聴こえました。
景色がそうさせるのか、気候がそうさせるのか、とにかく普段以上に解放感を感じる事が出来て、初めてボブマーリーをしっかり聴き込んだのもアリゾナの滞在中でした。
それまで、歌のメッセージは分かっていても、音の温度感や明るさがあまりしっくりこなくてメロウなレゲエやロックステディを好んで聴いていました。それは書いた曲にもモロに出ていて、前身バンドの頃や最初期は今よりずっと暗い雰囲気のサウンドでした。
タキちゃんがあまりにも自分とかけ離れた生い立ちや環境で生まれ育った事を感じました。何もしてなくても全てが新鮮でワクワク出来る場所。
壮大な景色に感動する一方、厳しい現実もあります。
アメリカという国がそもそもネイティブアメリカンの犠牲の上に出来た国だという事を頭では理解していたものの、実際にその土地に行くことが出来てアメリカが奪った物の大きさを目の当たりにしました。
居留地と定められている場所は、電気ガス水道の基本的なライフラインを整備するのが難しい場所が多く、住んでいる人が限られています。
実際、タキちゃんが産まれる時にようやく電気が導入されたそうです。ガスはプロパンガスを使っていましたが、水道は無かったので数日おきに水を汲みにいっていました。野生の馬が水飲んでたりしてて可愛かったなぁ(笑)
住む人が居なくなってしまうと恐らく居留地は無くなってしまうでしょう。
父ちゃんから色んな話を聞かせて貰いました。黒人以上に貧しく、差別の対象であった(今もそうかもしれません)という事実など日本で呑気に生活していた僕には到底知る事の出来無かった事で、世界の歪みがよく見えました。
レゲエやパンク、ヒップホップ、そしてロックの持つレベルミュージックの側面を改めて深く意識した大きな出来事です。やっぱりここの人達もそういう音楽聴いてるんだよ。
ここでの経験がその後のバンドサウンドやスタンスの変化にそのまま出ていて、アリゾナに行かなかったらフライデーフラワーズは間違いなく完成していません。
ちょっと長くなったので後編へ続きます。まずはタキちゃんとの出会いによってフライデーフラワーズのサウンドが完成したよってお話でした。
次は料理にハマっていった経緯について書こうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?