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「そこ問題?」と思う

小学生が道端にしゃがみこんでランドセルをひっくり返し中身を出している光景を横目で見ながら、息子2のランドセルの底にプリント類がたまっていたことを思い出して、さらには自分のランドセルもそうだったことを思い出しました。たしかにプリント類を保護者に渡さなければ、持っていくものや用意するもの、行事や参加するものなんかがわからない。わからないけど、「そこ問題?」と思う。なんかねー、ずっと思ってた。「そこ問題?」って。それ持っていかなくても死なないしー、とか、行かなくても大丈夫だしー、とかすぐ思ってしまう。保護者の立場になってからは、息子1が小学生になりたてのころくらいは世間さまの価値観に染まって、「忘れ物しちゃダメ」「遅刻しちゃダメ」「プリントは点検すべき」とかなんとか一瞬アセりましたが、ほんとに一瞬で、「ん?よく考えたらなんも支障なくね?そもそも忘れ物や遅刻して怒られるのは自分じゃないし、保護者参加のものがあっても別に参加しなくていいし、ま、用意するものが後手にまわる、たとえば遠足の朝に弁当用意するの知らなくて急に言われる、みたいにわたしに負担がかかること以外は別によくね?」という考えに落ち着いたのでした。プリントを出せ、忘れ物するなと口うるさく言ったり、忘れ物しないように毎日点検するとかの労力やストレスより、自分が先生や他人からどう思われようが、自分が「ま、いっか」と思える方を選びました。忘れ物にしろプリント提出にしろ結局口うるさく言うのはしつけや教育なんかじゃなくて、「自分が他人にどう思われるかが怖いから」だと思う。忘れ物しまくり、遅刻しまくり、プリント出さない、ってこの子の保護者は何をしてんだ?って思われたくない。少なくともわたしはそれが怖かったので、それに気づいてからはしつけや教育といった言葉で自分をごまかすのはやめて、もしいろいろ注意しないことで何かあったら自分が全部責任を取る、と腹をくくったんですよね。忘れ物や遅刻なんて、本人が痛いめにあって初めてやらなくなるもの。それまでは自分でどうにかしてるんだろうし、どうにかするっていうのも一種の才能。プリント提出も、先生には悪いけどもし不都合があれば連絡があるだろうな、くらいに考えてました。ほんと今でもそうだけど、「こうしなきゃ」みたいな恐怖や不安で動くのはイヤなのです。

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