「良い悪い」と「好き嫌い」

こんばんは、きのっぴです。

「良い悪い」と「好き嫌い」は違います。

こんなこと先人たちが語り尽くしてるんじゃないかなぁと思いつつ、かなり自分の価値観のコアにあることなのでポエってみます。

主観と客観、なのか?

よくあるのは主観的な好き嫌いではなく、客観的に良し悪しを判断しましょう、みたいなお話。

なるほど。
でも良し悪しって本当に客観なの?

良し悪しって正しいか正しくないか、とも言いかえられる。

待て待て、正しいか正しくないかが客観的に分かるなら、人類はもう少し違った歴史を歩んできたんじゃないだろうか。
(歴史家でも文学者でも哲学者でも無いから深追いはしないけどサ)

好きにも嫌いにも理由はない

じゃあ何が違うのって言ったら、それは、「理由があるか、無いか」だと思っている。

仕事でもプライベートでも、あなたが「これは良い」「あれは悪い」と話す時、きっとありったけの理由をつけて、可能な限り論理的に話そうとするんじゃないだろうか。

もしかしたら、相手を説得するために。

そう、良い・悪いという価値観は人に承認されて初めて意味を持つ。
これは上にも書いた客観的価値を拠り所にした言葉の宿命だ。

一方で好き嫌いはどうだろう?

あなたが家族のことを好きなことも、気に食わない同僚がいることも、今にも潰れそうなラーメン屋に通い詰めることも、流行りの店が何となくいけ好かないのも・・・・理由を効くことなんて野暮じゃない?

別に誰にも認められなくたって、構わないはずだ。

「生理的に受け付けない」なんて惚れてる女の子に言われたら一番ショックな言葉だけど、そればかりはどうしようもない。

好き嫌いに理由をつけるな

最近は論理的に話すことが流行りなのか、承認欲求がよっぽど刺激される社会なのか、みんな理由をつけて自分の「好き」を「良い」に変換して説明しようとする。

いいじゃん、好きなんだから理由なんてなくても。
いいじゃん、嫌いなら嫌いって言っても。

理由をつけて「好き」を「良い」に、「嫌い」を「悪い」に結びつけようとすると、本当に良いことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも分からなくなるぞ。

本当の多様化

「良い物ではないって知ってるけど、好きなんだよね」
「正しいことだと知ってるけど、どうもダメなんだよね」

分かってる人は、そういう話し方ができる。
そしてそういう人は、人の好き嫌いを理解することもできる。
嫌いと悪いを混同して人を攻撃することもない。

もちろん本当に悪いことは止めなければいけない。
でも、みんなが自分の好き嫌いを表明し、行動できる世界はきっと楽しい。

自分も色んなものに引っ張られて見失いがちだけど、これはブレずに持っていたい考え方だなぁ、と思ってます。

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