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限りある時間の使い方

ひまな時期は「休みの残り時間をどう潰そうか、少し眠いから寝ちゃってもいいか」と考える。

逆に忙しい時期は、余暇の時間、リラックスできる時間が大切に感じられて、どう使おうか切実に考える。

生まれてから高校2年まで、わたしはひまな人間だった。

習い事も部活も受験勉強もバイトもそこそこで、真剣にやっていたもの、夢中だったものもあったが、一時期を除くと、それに追われて目まぐるしい、ということはなかった。

それが大学生になると、1時間半かけて大阪から京都に通学し、サークルに7つ入り(ほとんど参加しなかったが)、授業が14コマあり、バイトがあったり、教習所に通ったり、まあ極めて普通の大学生ではあったものの、主な活動が2,3つしかない高校生までの自分からすると大変だった。

忙しさのピークは、大学4年だった。

イラン留学から帰国し、毎週木曜は京都でゼミとどうしても受けたかったコーチングの授業を受け、その前後は夜行バスで世田谷区のシェアハウスで暮らし、渋谷でIT企業のインターンをした。

朝はいつもギリギリまで寝て、夜は2,3日に1回はスタートアップ関係の勉強会や、東京にいる学生団体の友人など、なにかしらのイベントがあった。

当時の12月頃、深夜1時に炊き込みご飯を炊いたら、べちゃべちゃのものが完成したことがあったが、まさにそういう日々だった(何事もバタバタと進めて、いまひとつな結果に終わるということ)。

しかし、忙しいのは私が誰かに必要とされているというより、自ら起こしていた現象だった。

忙しいのは、私が見ようとしていた世界だった。

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