黒いベール

いつからかあるのかわからないけれど、腹の底にモヤモヤとした、黒くて熱いものが溜まっている感覚に随分慣れてしまった。

その黒くて熱いものは、誰かへの怒りだったときもあれば、何かに対する恐怖でもあったし、自分に対する不甲斐なさでもあったし、いずれにせよ、行動を起こしてその感情を解決できたらそのモヤモヤは消えて無くなると思っていた。でも、その感情が消えても、黒くて熱いものは消えることなく、いつも腹の底を薄いベールのように覆っている。

そのベールは何なんだろうかと考え続けてみると、生死への執着ではないかと最近思うのだ。

振り返れば、いつも私の周りにはなんとなく生よりも死の影が漂っていた。

3歳の時、祖父の遺骨を拾ったことを鮮明に覚えている。幼いながらに、生き物って永遠じゃなくていつかはこんな小さくてもろい塊になってしまうのだなと実感した時だった。

小中の頃、父方母方の祖母のところへよく遊びに行ったが、どちらの祖母ももう歳をとり、「先は短いから」とよく言っていた。その時、祖父の経験もあって、この人たちもいつかは消えてしまうのだと怖さを感じていた。私にとって、長期休みに祖母の家に行くことは、なんとなく近づいてくる死の気配を感じ取ることと同じだった。

高校の頃、相次いで祖母が亡くなった。遺骨も拾った。四十九日やら新盆やら、人が死んだときにする行事に詳しくなった。鮮明に、人は死ぬことを目の当たりにした。

そんな小中高時代の傍らで、私の母は身体的も精神的にも病気を患い、よく憂いを嘆いていた。母が自らの死を仄めかすような脅しをしてきたこともあったし、逆に父や私に対して死を強要するような発言をすることもあった。高校2年の夏、夜中に私のベッドのところへやってきて、もう死んでしまいたいんだと泣き喚いていたことは忘れもしない。母は死の匂いが一番強いのに、全然死なない。逆にまだまだ死から遠いと思っていた同級生が、いつの間にか亡くなっていたこともあった。

なんとなく、死と触れることが多かったせいか、私自身死という言葉に惹かれてしまう。何とも言えない、妖艶な魅力があるように思えてしまう。死んだら私はどうなるのか興味がある。

というのは、言い訳だ。実際のところ、生きることに自信が持てない自分がいる。

大人になるにつれて、知りたくないことを知り、感じたくないことを感じるようになった。

時代が進んで、どんどん物価は上がり、でも給料は変わらないで、余裕がなくなった。何かをするとき、成功したらラッキーだけど、失敗しても自己責任。守ってくれたり叱ってくれたり教えてくれたりする人もいない。個人主義で、みんな自分のことばかり考えている。

そのせいなのか、無敵の人と呼ばれる、罪を犯すことを恐れなくなった人も増えたように思える。実は昔からいたのかもしれないけれど、昔はそんな人たちが救われる場所があったはずなのに、今はどんどん不寛容になっていって、弱いものが生きづらくなって、やがて加害者になっている。

平和ボケしているけれど、世界情勢のことを考えると、自分が生きている間に、また争いが起きるのではないかと不安になる。それは戦争とは違うかもしれないけれど、すでに今だって、憎しみあって人が戦っている。

これからの世界に希望が持てない。これからの自分に期待が持てない。時代の流れが早すぎて、とても追いつける気がしない。これからの時代は、今までと大きく変わるんだろう。その変化におびえていて、生きることに積極的になれずに逃げている。

そんなことを感じていたことを理解していたのだけど、見て見ぬ振りをしてきた。だって私だけではどうしようもできないこと。ただ、漠然と生きることへの不安が、腹の底を覆っていた。


話は変わるようだが、この間、君たちはどう生きるかを見た。
ネタバレになるからあまり言えないけど、長年のジブリファンとしては、結構ショックだった。
風立ちぬまでのジブリでは、ファンタジーだけれども、その中に生きる希望を与えてくれていた。ジブリを見終えて現実世界に戻ったとき、頑張ってみようかなという前向きな気持ちを取り戻すことができた。

でも、今作は正直に言ってその希望が見えなかった。
宮崎駿という人は、戦争も経験しているからか、これからの日本の未来に憂いを感じているのだろうと思う。それはポニョや風立ちぬの世界からも感じてはいたが、それでも生きる希望を見出させてくれた。今作は、もうファンタジーの世界は終わりだよ。この辛く苦しい現実社会に戻りなさいな。と突き放されたような気持ちになったのだ。

だから、帰ってきてしばらく、呆然としてしまった。どうしたらいい?私はどう生きていけば良いのだろう。

でも、じっくり映画を振り返ると、決して今までのジブリの希望を全て捨てて封印したわけじゃなかったなと気がついた。千と千尋の最後に出てくる、髪飾りのお守りような存在が最後に出てきた。それは大した力にはならないと言っていたけれど、それでも、あの小さなお守りには13作の希望が詰まっているはずだ。どんな時代になろうと、もがいて苦しんでも、ただ生きてさえいれば、それでいいのだ。どう生きるかなんて考える前に、とにかく生き続ける。人生の終わりになってやっと、どう生きたかという答えが見えてくるのだろう。



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