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今週のkinologue【6/26-7/2】

7/2は夏至から11日目、半夏生。美しい響き。半夏生はいつの間にかなくなってしまったけれど、我が家の庭は花盛り。30度以上が当たり前の日々が始まった。もう少ししたら「今日は30度だから涼しいね」なんて言うようになる。日傘が欠かせないのは随分前からだが、愛用の日傘が先週から行方不明でワタワタ。すると、1週間ぶりの非常勤講師室の椅子の下で発見。まめに掃除してないことに感謝する。

今週は半ばに研究室で初の上映トークイベント開催。研究室を移って1年、初めてリサーチアシスタントとして関わっているプロジェクトで全体進行やMCなどを担当。詳細な進行表を作ったせいで、まわりの人たちからのツッコミがこれまでにないくらい細かいと先生に指摘される。ま、職業病だから仕方なし。登壇者のお一人は昔からマスコミ試写などでお見かけしている方だったが面識はなかったはず。初めましてとご挨拶をすると、新卒で入った配給会社の名前を出されて動揺する。そして、15年以上前にお世話になった新聞記者さんにも再会。kinologueで配給している映画のマスコミ試写や取材では会うことのない人たちなので、アカデミアにいることに感謝だ。いつまで経ってもMCは上手くならないが、登壇者から思いがけない話や「そういうことかー!」と納得な話を伺うことができて、良いイベントだった。

40周年ならではのポスタービジュアル。キャストもキャッチも要らない。

一仕事終わって観たのは『ビデオドローム 4Kディレクターズカット版』。SFもホラーも全くダメなのに、この映画だけは昔からお気に入りでDVDも持っている。公開から40周年記念の新バージョンでの上映。劇場で観たことはないので、行くしかないでしょ。久しぶりに観ると、自分でもびっくりするほどストーリーを覚えていない。しかし、ケーブルテレビやポルノビデオ業界、パラボラで違法傍受とか、80年代のメディア状況が映し出されていて面白い。エログロ炸裂はクローネンバーグらしくて微笑ましいが、ビデオを体に埋め込むシーンは、まさにマーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」。といったメディア論的な話は、研究室のフィールドレビューに書いたが、いつもより短くて手抜き感否めず。。。

この前で参加者はそれぞれチェキを撮られ、コメントを書いて年表に貼っていった

土曜日は二子玉川ライズのカタリストBA「ファイナル・ダイアログ」へ。場が閉まるときにクロージングイベントをするというの珍しいが、10年ぶりくらいに訪れて色々と思い出す有難い機会となった。青学のWSD育成講座で同期だったバーバラに誘われ(この日に会えなかったのは残念だったが、イベントに参加しながらチャット)、映画と対話のワークショップのテストをさせて貰ったのが2011年10月。この時に巻き込まれて参加してくださったのは後から考えると濃ゆいメンバーで、社会課題解決の場づくりで現在も活躍中の皆さんだった。このテストの直前、二子玉川駅改札横のカフェ(もう変わっていたけど、当時はセガフレードだった気がする)でこのプロジェクトの名前を決めなきゃ!と数分で決めたのがkinoとdialogueの造語=kinologue。あっさり降りてきた。このテストで「映画と対話のワークショップって面白い!」と実感しなかったら、今のkinologueはない。その後、2013年まで色んなkinologueのワークショップをカタリストBAでやってきたことも、今にとても影響している。ファイナル・ダイアログで運営をしていた東急・コクヨ・co-labの方々やco-labの会員となって10年以上利用してきたという方々、私とは入れ替えで関わったと聞いて驚いた学環の筧先生などの話を聴いて、私が知らなかった10年の間に、カタリストBAは地域と深く関わるようになっていったのを知った。二子は多摩川の川崎側で、駅があるのは玉川なんですって。カタリストBAが始まった2011年当時は確かにシェアオフィスやサードプレイスの概念は新しく、二子玉川自体も「周縁」=エッジシティとして住んで、働いて、遊べる都市になりうるか、模索している時だったとか。その後、楽天が移転してきたり、蔦屋家電や109シネマズが出来たり、玉川高島屋しかなかった街が10年の間に様変わりしていった。トークの中でも言われていたが、二子玉川や世田谷といえば同質性が強く、多様性に乏しい。今、読んでいる小田嶋隆さんの『東京四次元紀行』の中で、世田谷区(駒澤公園だけれど)を表しているのは「トロフィーワイフ」。えげつない。マツコにも嫌われるわけだ。もはや周縁ではなく新たな中心、同じ幸せ=消費スタイルを求める人たちが集まってくる街、それが二子玉川。311の震災をきっかけに「変わらなければ」「変わりたい」と、自分も含めて切迫した想いを抱えてカタリストBAに集っていた人は多いはず。それは今は全くない空気感だ。コロナ禍を経て異なるフェーズに入った今、カタリストBAがなくなることは象徴的に思えた。「次の一手は?」という問いを何度もモデレーターが語りかけていたが、みんなが頷く答えは出てこない。これがまた新しい危機だなと、我が身に沁みた。

ライズ8階から眺める二子玉川駅、多摩川。これからどうなっていくのか。
ランドセルをつぎ合わせた皮のスツールも10年経ってボロボロ。ソファーも当然色褪せた。


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