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先週のkinologue【5/6-12】

連休最終日から始まった先週は、ずっと夏みかんに追われていた気がする。日曜に1日かけて2本の大きな夏みかんの木の剪定&収穫をした庭師さんから、どーんと300個くらい届き、月曜にご近所のKAMOSUさんに50個を残して納品。これくらいの時期になると甘みが増して、生食でも十分美味しく、ワガママなリクエストに応えてひたすら皮を剥く日々、手が荒れる〜。おかげさまで5/25の夏みかんママレードWSは満席に。夏みかんを愛でる人がもっと増えるとよいなぁ。

引き取らなかったら廃棄と言われ、全部置いていってください!となる。2日で100個くらいなくなったという。ありがたし。

次回映画評連載の原稿締切が迫ってきて、急いで配給会社にオンライン試写の依頼。しかしすぐに返事が来なくておかしいなぁと思っていたら、連休明けに「メール届いてますか?」の連絡が他からあり、サーバーがいっぱいになっていたことに気づく。事前通知が全く来ないことを知って恐怖。今回も良い作品を選べたけど、本数が多いのでまとめるのかが難しい。最近「読んでるよー」と言われることが何度かあり、駄文でも読んでくれる人がいるのだから、ベストを尽くそう!と、今回も締切ギリギリまで粘る。その関連という程でもないが、書き上げる前に観ておきたかった『ラジオ下神白』を久々のポレポレにて。ちょうどコロナ禍だった2年前、大学院の集中講義でアサダワタルさんから聞いていたプロジェクトが、1本の映画になったことが先ず素晴らしい。ラジオと言いながらなぜCDを配る形にしたのか、ラジオの収録と配布に留まらず、伴奏型支援バンドをなぜ結成することにしたのか、帰りの電車の中で当時の講義メモを読み返して納得した。被災地支援に限らないが、どうやったらこういった活動を続けていけるか、それに対するアサダさんのアイディアと行動力に脱帽する。そして、音楽ってやっぱり強い!映画でここまでシンプルに機能しない気がする。それから、連休中に読んだ元ゼミの先輩の新刊『ケアする声のメディア』で扱っていたホスピタル・ラジオにも通じるが、声のメディアと記憶との結びつきは偉大だ。うちの親を見ていても、本からラジオへの移行はシニアには自然なこと。そしてシニアだけでなく、非常勤の授業で聞いてみたところ、学生も声のメディアには親和性が高い。学生はもっと文字のメディアに親しむ必要はあるけれど、進みゆく高齢化社会の中で、声のメディアはもっと豊かなものになるべきものなのかもしれない。

10日にあった伴奏型支援バンドの演奏+アフタートークに行きたかった!涙。

数年ぶりに根津美術館に「燕子花図屏風」を見に行く。勤めていた会社が近かったときには、昼休みにぶらぶら行ってたなぁ。連休前半に誰かが「庭の燕子花が見頃だった!」と話していたので、もう終わりかけだと思っていたが、それなりにまだ美しい。夕暮れの光に包まれた紅葉と燕子花のコンビネーションは見事だった。それにしても、外国人がすざましい。気持ちはわかる。私も海外から東京に来る友人にはここと日本民藝館をオススメするし。もっと驚いたのは、美術やファッションを勉強してそうな、尖った格好をした若者が男女問わず散見されたこと。根津美術館といえば、上品なおばさまがグループで訪れるような、年齢層高めのイメージだったのが覆された。今回の展示が「デザインの日本美術」というテーマにしているからだろうか。いつもテーマに合わせて見たことのない所蔵品がこれでもか!と出てきて、根津には圧倒させられる。『光る君へ』で町田啓太が演っている藤原公任による書が光琳の生家にはあったとか。こんな美しいものを子供の頃から普通に目にしていたのかと思うと色々納得。光琳の「紅白梅図屏風」の意匠を感じる「梅図刀掛」も良かったが、今回いちばんのお気に入りは「誰が袖図屏風」。衣桁にかけられた男性、女性、子供の着物が興味深い。衣桁の模様も丁寧に描かれていて、障子や文机があったり、こんな部屋の一コマみたいな楽しい屏風、見たことがなかった。辻が花の原型をしったのも感動。特別展以外のアンデスの染織も初風炉の茶道具の展示もそれぞれ素晴らしく、眼福のときだった。

こういうところは寄贈も多いのだなと今回改めて知った。

明日からカンヌ映画祭が始まる。海岸でのオープンシアターで、宮崎吾朗の作品が上映されるようだったので、さすがに今回は関係者の出席はあるのかな。驚異的な円安のなか、みなさん、どんなお買い物をしてくるのでしょうね、なんて他人事にしていられないけれど。


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