新聞の偏向報道の正体

私が所属していた整理部や校閲部は、取材に出ることがない。
記者の書いた原稿を読むのが仕事だ。
要約、アラ探し、価値判断、類例探し、表現の吟味……

取材に出ることが皆無なので、著名人や経済人や捜査関係者の知り合いも皆無。
(会社を辞めると、タクシーか介護職しか求人がない)

そこで、ふと気付いたのだが。
整理や校閲のニュースの見方は、ひたすら、報道全般を客観視している。
「木と森」で言えば、「森」しか見えないわけだ。
一方、取材記者は、自分の取材対象「木」と、報道全般の「森」の両方を見ている。

自分の取材対象「木」に寄り添う記者は、その「木」の立場を反映しやすい。
ネットで「勇気ある」「良心的」と称賛される記者がこれに該当する。
プロは逆に「主観的」「情緒的」「取り込まれた」とも言う。
左右に色分けした対極からは「偏向報道」とも言われる。

取材対象を持たない、友達のいない、整理や校閲記者は「森」だけを見続け、職務として「木」を批判的に内部検証する。
ネットで「忖度」「偏向報道」「記者クラブメディア横並び」と新聞が非難される件は、整理や校閲記者の仕事によるものだ。

長期不況下で、新聞社の人員削減が進んだ。
整理や校閲記者は真っ先に切られ、取材記者ばかりの「筋肉質な」新聞社へ転換が進んでいる。

ネットで「偏向報道」と敵陣から叩かれる記事が増えた、左右の味付けが濃くなったのは、書き手への内部検証が弱くなったのも一因だろう(この原稿の要旨はココ!)。


もちろん、他の原因もある。

新聞が自信を失い、ネット企業に価値判断を委ねた結果、安直にPVを稼げる「左右の色の付いた記事」の優先度が上がった。
ジャニーズ起用に顕著だが、商業や社会や政治が全体的に「数を見込める固定客」へとシフト。まず世襲の冒険のなさ、さらにネット・コンサル・広告といったカタカナ商売が、他業種の専門性への敬意を欠き、「グーグルで発見してエクセルやパワポに収まる程度」の浅い「データ」活用を推進したことなどが、「信者ビジネス」一辺倒を招いたのだと考える。

少数精鋭化により、縁故入社も多く、デスクが若手記者の原稿を添削しにくくなった。
また、ネットという自己顕示装置が出来て、高学歴が特権行使として必ずしもマスメディアを目指さなくなり、若手記者が辞めないよう原稿を添削しにくくなった。
さらに、パワハラ、セクハラ、ポリコレ、ジェンダーといった口実が登場したため、若手記者の自己顕示欲や自意識を戒める職業教育が行えなくなった(かつてはパワハラで自尊心を削り取ることで行っていたが、代替手段が考案される時間がなかった)。

上記の通り、求められる記事が「左右の色のついた」に偏り、社内では主観と客観の書き分けを教えられずという状況もあるが、「非取材部門の首を切った」のも記事の味付けが濃くなった一因だろう。
というのも、取材部門のデスクは、若手記者の記事を添削する際「また、あの馬鹿どもがウルサイからな」との口実を使っていた。執筆者の反発は非取材部門にナスリツケる、不可触民を設けることで回る組織だったわけだ。不可触民の存在なしにデスクは原稿を添削にしくい、それぐらい若手記者の自意識やカンチガイは激しいんだよ。(ソーケー)

私の読者に分かるよう、福祉畑で言えば……
当局やNPOがお膳立てした美談や被害者に寄り添い、新人女性記者の、主観と客観の混じった長大な「作品」を無添削で載せておけば「良心的ジャーナリズム」風になる。記者は自意識を満たし、官は喜び、社はネットで高評価される。
その記者は、取材した問題を「追いかけている」「食い込んでいる」と自認し、やがて官製キャンペーンのスポークスマンになるわけだwww

毎度、あちこち脱線して恐縮ですがw

元記者は「どういう取材先を持っていたか」で測られる。
(退職後2年ぐらいで無効になるにも、かかわらずw)
だが、そういう人脈は、客観性にとってマイナスであることも、読者は知っていたほうがいい。

また、取材先を持たない記者出身者は本来、良質の「こたつ記事」執筆者に成れるんだが、残念ながらそういう起用はない。
経歴詐称の素人が左右に色付けした物しか需要がない、とネット企業が決めてるもんねw


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追記
さすがに、こりゃ読みにくいなぁ。
(「記者じゃない」ので許してねw)
補足解説しておきます。

1.偏向報道について
右か左から「良心的」と呼ばれる記事は、敵陣からは「偏向報道」なのです。
玄人目には「主観と客観の書き分けが甘い」記事です。
右からも左からも、ネット民全体から「偏向報道」と罵倒される記事は、玄人目には「主観と客観を区別したマトモな記事」です。これが減ってるよなぁ、という話です。

2.非取材記者について
世間一般が想像する「記者」ではない何か。
時代や社による違いはありますが、社内では激しい侮蔑にさらされます。
「なれなかった人」さらに「詐称する者」として、記者の自尊心の分だけ、蔑まれ憎まれます。
良心的ジャーナリストから「チエオクレ」と笑われる存在だなwww

3.自意識の矯正について
「思い上がった根性を叩き直してやる」
日本社会の常として、シゴキは、その必要のない者に強化され、必要な者には十分与えられないことが、よくあります。
カンチガイネーチャンが勘違いを高め、苦労人が苦労を増やす、そういうOJTは、家柄に準拠していると、あるよなぁ。

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