「マスコミ」と書く理由

ワイドショーの芸能人コメントを理由に、新聞報道はウソだから信じるなと叫ぶ。
こういう故意の混同を作るときに必須なのが「マスコミ」という総称なんですな。
「マスコミ」の語を含む報道批判は、どんなに偉い教授のも、読む価値はありません。
必ず、何かに媚びよう、ウケようと、話を曲げて書いてある。
ちゃんとした学者は「この新聞は」「この記事は」と対象を定義して書きます。

芸能人コメントも新聞報道も「マスコミ」に含まれるのは事実だから、「芸能人コメントを理由に汚職報道を信じるな」という無理を行っても、一応「ウソつくな」と怒られる心配はない。

漠然としたレベルに主語を広げる、定義をアイマイにする。
こういう作文術は、洗脳に有効です。
具体的な根拠なく「敵/味方」を刷り込めるんですな。
統一協会の言う「サタン」、オウムの「カルマ」、共産信者の「新自由主義」、教師の言う「発達障害」、陰謀論屋の「ディープステート」、ネット論客の「マスコミ」………全部同じですな。

「定義は答えられないが、君の苦難は全部それが原因だ、私に逆らうとソレだと認定するぞ」
こういう万能ワードをつかって語る人は、カルトか、または頭悪い。

ですが、残念ながら「マスコミが」は「絶対に賛同される安全なセリフ」として、ネットでは広く普及しています。
ヤフコメを見ると「マスコミは報じない」が新聞記事に付いているお笑いが、毎日見られる。
お前の読んでるソレは何だ?www

ネットで個人発信が可能になった、ので本質的にマスメディアへの対抗心があったのは分かる。
だが「マスコミが悪い」これほどネットで定番化したのは、この10年20年、政府・与党・宗教のネット操作が如何に激しかったかを物語っているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?