見出し画像

たまにここに日記を書こうということと、なんでかということ。

たまにここに日記を書こうと思う。
僕を知っている人からすると意外かもしれないけど、僕は毎日日記を書いている。日記と言ってもその日考えたことを大量に書き出してるだけなので、文章としての体裁は整っていないんだけど、継続するためにもあまり批判的にならずに書いている。ではなぜそれをわざわざ公開するのかというと自分が存在した足跡を遺したいからだ。

僕はよく自分のひいお婆ちゃんのひいお婆ちゃんについて考えている。彼女にはきっと好きな食べ物があって、好きな歌があって、懐かしい子供時代があって、家があって、恋愛をして、苦悩があったはずだ。しかし最も重要なこととして、誰一人として彼女のことを覚えていない。そして彼女が来ていた服、住んでいた家、友達に宛てた手紙。それらは完全に消えてしまった。未だ存在しているのは僕に遺った少しのDNAぐらいだ。そしてそれは、あなたも例外ではない。あなたはこれから先色んな成功をして、色んな失敗をして、仕事をして、楽しい事があって、辛いことがあるが、200年後あなたのことを誰も覚えてはいない。未来の地球人はあなたを個人としてではなくその他多数として、まるであなたなど存在しなかったかのように扱うだろう。遺るのは少しのDNA、もはやそれすら遺さないかもしれない。
だから僕は少しでもそれに抗いたい。今幸いにも私たちはインターネットを持っている。18世紀の人たちが交わした手紙のほとんどは今残っていないかも知れないが、現代の人たちがtwitterで交わしている高貴な冗談は数世紀後の未来人が見ている可能性は十分にある。もしかしたら現代の私たちが数世紀前の人物が書いた本を読んでいるように、未来人が数世紀前のyoutubeの動画を見て楽しんでいるかもしれない。noteがサービスとしての寿命をどれだけ保つかは分からないが、この文章も未来の誰かに見られているかもしれない。そして願わくば、あなたを”昔の誰か”ではなくあなた個人として特定してくれるかもしれない。そうなれば万々歳だ。記憶としての寿命は飛躍的に伸びたことになる。
だから数年間使ったSNSのアカウントを消すのには躊躇すべきだ。あなたが遺した言葉や思い出をわざわざ消すなんて言うのはあなたを殺すのと同じだからだ。たまにこれを平気でやる人がいるからゾッとする。

というわけで2022年7月7日の日記でした。

宇宙の熱的死?知らんな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?