[小説]ピーターパンの表現について
vol.3の今回はピーターパンのストーリーを彩っている素敵な表現についてお話しようと思います。
他の本に比べて想像しやすくかわいい表現が多いのが特徴かなと思います。
私が好きな表現を紹介しつつ、みなさんにもピーターパンの世界観を味わっていただけたらいいなと思います。
〜今までの記事〜
ピーターパンについては以前も書いているので、
よかったら見てください。
ウエンディのお母さん
まず冒頭で紹介されるウエンディのお母さん。
ここの冒頭でピーターパンの素敵な世界へと
ぎゅっと引き込まれます。
ここの文章ダーリング夫人の魅力がとっても伝わってきますよね!!
特に
「箱の中に箱があるという、東洋の不思議な小細工の小さな箱」
のところ。
夫人がみんなの注目を集めるチャーミングで
女性らしい小柄な夫人の雰囲気を想像できます。
またここから根拠のない予想なのですが
ピーターパンが作られた1900年代も
貿易があるとはいえ、中流階級の人からしたら
東洋の品物は手が気軽に出せない
珍しい物だったのかなと思います。
そう考えるとダーリング夫人が
どれだけ人気で素敵な人だったのか
わかりますよね!!
他にも表現できたはずなのに、夫人の説明を
「東洋の不思議な箱」と表現してるのは、何か理由はあるのではないかと考え、結論しました。
(歴史得意な方、ぜひコメント欄でお願いします。
些細なしあわせ
もうこの光景が目に浮かんできますよね。
些細な幸せが感じられるシーンで大好きです。
お誕生日のために手縫いするダーリング夫人も、
子どもたちと夫人を温かかく見守るだんろも、
どこを見ても優しい世界が広がっています。
子どもの整理整頓
ここが一番好きなんです。
小学生ながらにお母さんになるのって楽しそう!って少しわくわくしたのを覚えてます。
母親の子どもに対する優しい愛情を感じられるのと、かわいいく想像しやすい表現がとても魅力的です。
「子ネコのように愛おしげに」や「いたずら心は小さく折りたたまれ」など、聞けばすっと馴染むけどなかなかこの表現は聞いた事ないですよね??
ここはほんとうに愛おしくて何回も読み直してしまうシーンです。
エンディング
ラスト、物語のラストって少しだけ寂しいですよね。
だって、もうその物語はそこで幕を閉じ終わってしまうのだから。
でもピーターパンのラストでは、
「こうして、ずっとつづいていくのです、子どもが陽気で、むじゃきで、身勝手であるかぎり。」
と、どこか今この瞬間もピーターはいるんじゃないかと。想像を膨らませるような終わり方をしているのがとても好きです。
また毎日きちんと春の大掃除に迎えにきて。と言うと義務感が出てしまうのも、「忘れてなければ」とする事でピーターの楽しい事を優先している性格。本当に来たくてきたんだなと思える一言が大好きです。
わたしの感想
私の妄想になるのですが、
語り口調でお姉さんが子どもたちに読み聞かせをしているようでとても読みやすいです。
読み終わったあとには
「ピーターパンにはどうやったら会えるの?」
と母さんの服の裾を掴みながら
目をうるうるとさせて聞いてきそうですよね。
そして、お母さんはそんな愛おしい子どもをなだめながら、ベットへ連れていき
「おやすみなさい」と額にキスをするんです。
そして誰もが寝静まった時に、
ピーターは子どもたちの所へやってくるんです。
お母さんは「ピーターパンなんて物語上の人だわ」と気にかけてない間に、子どもたちはネバーランドへいき、いろんな冒険をして帰ってくるんです。
そして妖精の粉でその記憶は消えて、
朝には「おはようママ」って
いつもの笑顔で1日を迎えるんです。
せつない物語をかわいく飾っている文章たち。
この切なくもどこか愛おしいピーターパンという小説がだいすきです。
長くなりましたがこれでピーターパンは終わりになります。
また次の本でお会いしましょう。
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