言葉を聞いて勝手にジンワリきてる

「言葉」に対して少し敏感になっているのかもしれない。人が話している言葉、本から享受する言葉、SNSで流れてくる言葉、自分が話す言葉、文語であれ口語であれ一つ一つの言葉を割と重んじてしまっているのではないかな、と思う。

今思い返せば小さい時からそうだった。
精神的に病んでいた母親を恐れ、本当に幼い頃は年甲斐もなく話しかける言葉を選んで選んで傷つけないように発していた。そして、発した言葉に対して返ってくる言葉にもまた、自分なりに解釈をするという工程は怠らなかった。
家庭がそういう家庭だったからか、家庭以外のコミュニティでも自然とそのようなコミュニケーション方法を意識していたと思う。子供らしくない神経を常に張っていた。

だからなのかはわからないが、自分にとって「言葉」は意識せざるを得ない何か重要なものになってしまった。ただ、別にしんどくて辛いものというわけではなく、言葉に助けられた事もあれば日常的に感動したり楽しくなったり純粋な感情を沸々と自分の中で温められる何かでもある。

とはいうものの、最近は全然言葉らしい言葉は発していない。
嬉しかったり楽しかったり何かプラスな事が起きると「やべー」というし、嫌なことや悲しい事などマイナスな事が起きると「まじかー」と言っている。言葉にできない感情を形容するためにこの2語はよく使っているし、むしろこの2語しか使えていない。かなり便利で汎用性の高い言葉だと思うが、全く相手には響かないだろう。
ただ、言葉にできない言葉って本当にすごく大切なものではないかなと思う。いい事であれ悪い事であれ、自分の奥底で沸々と煮えている取り止めのない感情を言葉で表すなど不可能だと思う。せいぜい、そうだね、あーーーとかいーーーとかうーーーとかえーーーとかおーーーとか、なんかそんな訳のわからない言語化できないワードでしか表現できないというか。無理に言語化しなくても別によくて、心の中でそっと沈めておくというか、自分だけが理解できる感情でその感情に自分だけがわかる名前を付けてあげることができるのならば、それは凄い事だと思うし言葉の素敵な使い方だと思う。

大学時代、塾で小論文講師をしてた。あと英語講師も。
特に受験期なんかは1日に20本も30本も生徒たちの文章を見るので、その生徒の文章の作り方やワードチョイス、流れ、読んだ時の感じ方など、それぞれ十人十色で小論文を添削するのが意外にも楽しかった。大変だったけど。
よく生徒には小論文を書く時の導入として、「剣山」に言葉を喩えて語っていた。
「剣山って、ほら、生花する時のトゲトゲしたなんか痛いやつ。あれパッと見、ただの石だし普通に痛いやん。でもさ、花をどんどん立てていけば一つの凄い作品になっていくやろ?あの作品支えとるの剣山やから。何が言いたいかっていうと、剣山は言葉なんよ、心に刺さる言葉に花を持たせて一つの壮大な作品を作っていくんよ。小論文なんて自分の顔相手に見えんやん?やから、読んだ人がこの人こんな人なんやなって、作品を見て想像できるような文章書くん。やけん自分の言葉で相手に刺さるワードチョイスでかけたらベストやね」と。
作品なんて個性の塊だから、自身の個性で感性で言葉を紡いで一つの作品を作り上げれればベストだと私は生徒に教えていた。小論文だから確かに形式は決まってしまっているが、でも文章である事に変わりはないし、文章を書く楽しさとかなんとなくわかって欲しいなとか思いながらダラダラとした授業をしていたと思う。やはり、生徒が受かった時は結構湧いたし、絶対自分教員向いてると思った。生徒にはテンプレではなく、自分の個性で認めてもらうという成功体験をしてほしかったというのもあるかもしれない。自分が浪人を経験して大変だったので、楽しく且つ個性を大切にしながら受験に挑んで欲しかった。
そう、だから私は言葉は剣山みたいに相手に刺さってくれれば嬉しいし、刺さった分だけ美しい作品になって相手に刻み込まれてほしい、と思っている。反対もあり得る事で、相手の言葉が自分に刺さりたいし相手がこんな人というのを理解したい。相手を解りたいと常に思っている。

仕事柄、営業相手に刺さってほしいし、
家族や友達に刺さってほしい、
毎日挨拶をするアパートの住人や、
斜め向かいのお豆腐屋さん、
最近ちょっと気になっているあの人にも、

私の言葉が刺されば良い。刺さってほしい。

大学2年のとき、古典文学を一時期専門的に勉強していたのだが、その時短歌にハマった。
それ以来、短歌はよくみてしまう。歌集とかもなんか買ってしまう。
短歌ってすごいな、と思う。あの短い文章で心にぶっっっ刺さる何かがあって、ジンワリくる何かがあって、この短い文章で伝えられるものがあるのか、と関心してしまった。
一方で、短歌を嗜む人、わたしはすごい繊細な人だと思う。私は多分短歌はできないのだけど、短歌を詠む人って変態(褒めてます、最強の褒め言葉)なのでは?と思ってしまう。あなたとか君とか、私は誰かのために美しい言葉で詠めないし、世の中に対して鋭利な言葉で詠めない。
社会人になって、初めて短歌をやっていますという人に出会ったのだけど、びっくりしすぎて「え、そうなんですか....」なんて薄い反応をしてしまった。



言葉って奥が深いよね。


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