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”さわやか"とは?


事の発端

我が家では朝、音楽を聴きながら朝ご飯を食べる事が多い。私は断然ラジオ派だが、2歳になる息子が音楽を聴きたがるので彼を尊重している。最近は専らクリスマスソング、普段は朝から胃もたれしそうなハイテンションの曲と共に慌ただしい朝を過ごすのが定番だ。
12/20の朝は普段と異なり、私が昨日聞き逃したラジオを流していた。
私はジェーン・スー 生活は踊るという番組のお悩み相談コーナー「相談は踊る」が大好きで毎日楽しみにしている。このコーナーでは恋愛相談、キャリア相談といった真面目なお悩み、ちょっとした疑問などリスナーからの多様な質問が毎日取り上げられる。自分の中で言語化できていなかった事象や気持ちの解像度がグッと上がる瞬間が今までに何度もあり、愛聴している。 普段私がどんなにラジオを聴いていても全く興味を示さない夫が珍しく12/19のお悩みに喰いつき、そこから朝食の時間を飛び越えて1時間近く議論になった。面白いので師走の忙しい時期にも関わらず、文章にしてみる事にした。 12/19放送のお悩みは

43歳男性の方から、「私は“爽やか”という感覚がわかりません。妻に『爽やかが分からないから格好がダッサイ』と言われてしまいます。よく“爽やかな人”“爽やかな朝”などと言いますが、どんな状態をいうのでしょう…?」

Spotify ジェーン・スー 生活は踊る

まず、相談者の方のメール文が大変ユーモア溢れる内容なので、ぜひご一聴頂きたい。

相談の中にはいくつかの要素が含まれていたが、我が家で議題となったのは"さわやか"とは何かの一点である。相当議論が発散したので私が印象に残った部分だけを掻い摘んでご紹介する。

”爽やか”という文字の成り立ち

相談コーナーの中でも触れられていたが、『爽』という漢字はバツがたくさん書いてあり、"さわやか”のイメージとかけ離れている。まずは成り立ちを調べてみた。

「大(人の姿)+両胸に×印」で、両側にわかれた乳房または入れ墨を示す。 二つにわかれる意を含む。

漢字源

入れ墨とはなかなか物騒。少なくとも私が持つ"さわやか"のイメージではない。更に調べてみると、この入れ墨は大の字になって横たわっている女性の死体に入れるものだったようだ。死者の魂を清らかな状態に保っておけば、いつか復活できると考えられていた時の風習でバツ印によって悪いものの侵入を防いでいたらしい。やっぱり"さわやか"のイメージではない。
※漢字の成り立ちに関しては諸説あり、『爽』についても例外ではない

我が家の"さわやか"イメージすり合わせ

次に夫と"さわやか"のイメージを擦り合わせる作業を行った。共通の知り合いを挙げていき、さわやかであるか否かを分類した。これが驚く事に、全然摺り合わない。ギャーギャー言いながら『あの人は?』『この人は?』と言い合う。最終的には息子のクラスメイト(2歳児)まで挙げて『〇〇くんはさわやか?』と言い出す始末だったが、大いに盛り上がった。
私の中では乳幼児であっても"さわやか"かどうか明確なイメージがある。ちなみに息子は全然"さわやか”ではない。
夫も”さわやか”だとは思わないので『あなたはさわやかじゃないよね』と言うと大層不満そうであった。

なぜ男性は"さわやか"と言われると嬉しいのか

夫はなぜ『さわやかではない』と言われ不満だったのか。『かっこよくない』と言った訳ではないし、『あなたの事がタイプではない』と言った訳でもないのに。"さわやか"というのは男性にとってそんなに価値がある事なのだろうか?私は"さわやか"という言葉から清涼感を感じるので、顔の造形に薄目(いわゆる醤油顔で涼し気な目)な特徴を持つ人は先天的に"さわやか"になるポテンシャルを持っていると感じる。後天的な要素としては、髪型や歯の美しさ、服装のシンプルさがあるだろう。
かっこいいには様々なジャンルがあり、"さわやか"でないからと言って落ち込む必要は断じてないと思う、とここで改めて念押ししておきたい。
一方で"さわやか"は女性を形容する言葉としての登場頻度は男性のそれに比べてグっと少ない。私は生まれてこの方"さわやか"と言われた事はないし、特に気にした事もない。

"さわやか"は風呂敷を広げすぎているのではないか?

午前中それぞれリモートワークをした後、お昼ご飯を食べながら引き続き"さわやか”について議論した。夫は私が言う先天的に"さわやか"になるポテンシャルがあるという部分に引っかかっていた。あくまで後天的な要素なのではないか、と言うのだ。だからこそ"さわやか"な服装や髪型が提案されるし、結婚相談所では『さわやかに見えるように』とアドバイスされるのではないかという論だ。確かにそうかもしれない。どんな人でも自分至上最高の"さわやか"を目指す事はできるし、手を尽くした上で『さわやかではない』と言われる事はない気がしてきた。
"さわやか"は風呂敷を広げすぎていると感じる。"かっこいい""かわいい"と同様にいつでもどこでもお手軽に使える言葉になってはいないだろうか?
おまけに"さわやか"は人に対してだけでなく『さわやかな朝』といった具合に名詞に付けて使う事もできる。

子どもに形容詞を教える事の難しさ

朝からかなりこってりとした議論を繰り広げた我が家だが、ここで絶賛言葉を覚えている最中の息子に思いを馳せた。サンプル数1になるが、息子は名詞の学習はすんなりできていた。目の前にある物、あるいは絵を見せて『これは〇〇と言うよ』というと、色や大きさが変わっても、同じ名称である事が認識できている。
話は逸れるが、息子が犬種の異なる犬を見て全て『いぬ』と表現していた事が私はとても不思議だった。色、大きさ、毛の形状が異なっていて『わんわん』と鳴いているわけでもない犬を犬であると認識できるのはどうしてだろう?1歳の息子に聞きたかったが、まだ語彙がそこまで備わっていない息子に、その時点での考え方を教えてもらう事は永久に叶わない。残念である。
更に、名詞の習得が軌道に乗ると、息子は接続詞や副詞を次々に覚え始めた。これらが身に付くと一気に大人に近い話し方に聞こえるようになる。『まずはごはんをたべよう』『もしきょうおつきさまがみえなかったらざんねんだな』などと文章らしい文章を話すようになった。これは親が多用している接続詞、副詞から息子も習得していったし、利用シーンを数多く経験する事で正しい使い方が身に付いた。
形容詞がとても難しい。先日『ママはきれい』と息子が言ってくれ、私は必要以上に大喜びした。それを見た息子は『人にきれいと言うと喜ばれる』と感じたようだ。折に触れて『ママはきれい』と言ってくれるようになっただけでなく『パパはきれい』も言うようになってしまった。『きれい』のイメージが伝わっているのか不安である。少なくともポジティブな言葉である事は理解しているようなので、今後『きれい』を様々なシーンで登場させ、彼の中でイメージを創り上げていってもらいたい。
そもそも、形容詞は人によって感じ方が違うので擦り合わせる事が大変難しい。散々話題にした”さわやか”は形容動詞だが同様だ。
『さわやか』からだいぶ飛躍した結びになってしまった。まぁ良いだろう。

朝から面白い議論ができた。私は時たま訪れるこういう時間が大好きである。

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