ONE PIECE Film Red

ネタバレあり



 エンドロールがおわり、主人公ルフィの「海賊王に、俺はなる」というセリフと共に館内はうっすらと明るくなった。
 僕は目のまえで繰り広げられたあまりの出来事に、この映画を観るという選択をした自分をあえて許そうという意味もこめて、やや自嘲気味の笑顔を浮かべて、となりの妻を見た。この笑顔は彼女に向けたメッセージでもあったはずだ。(俺たち、この映画のターゲットじゃなかったんだよ)
 無性に二人で笑い合いたかった。しかし、彼女とは目が合わず、ぼおっと無表情で中空を見つめていて、ただ大きなため息をついていた。
 僕はばつの悪い笑顔をしまって、出口の方へ向かって歩きだした。
 後ろから妻の「ころす」というつぶやきが聞こえた。


 けれどこれは最終的に、ワンピースフィルムレッドに対する讃歌になる。


 まず僕は、ワンピースのアニメを見たことがほぼない。家にテレビもないため、フィルムレッドの前情報は一切持っていなかった。(今となっては)驚くべきことに劇中歌を誰がうたっているのか知らなかったし、その楽曲提供者も知らなかった。見終わった今となっては、よくぞその前評判をよけてフィルムレッドにたどり着けたと思う。エンドロールで、ado以下楽曲提供者のそうそうたる顔ぶれを見た時、まさに開いた口がふさがらなかった。
 なぜ急に今回映画を観ようと思い立ったかというと、なんとなく「この映画、きっと今後本編と少し絡む」そういう予感がしたからだ(考察じゃなくて、単にシャンクスが出てくるから、というそれだけ)。
 ワンピースは中学生の頃に集め出した。<ウィスキーピーク>でゾロがミリオンズ相手に大立ち回りしている頃だ。その後、何度か脱落したものの復帰を繰り返して今もリアルタイムで本誌を追っている。

 さてさて、ワンピース製作チームがどんな映画を作っているのか。
 期待半分、怖さ半分で初めてアニメ映画を観たものの、開始五分で自分はこの映画のターゲットじゃなかったと思い知らされる。あまりによくできたMVに、竜とそばかす姫が脳裏をよぎる。
 「なあんだあ!!MVならMVって言ってくれればそのつもりできたのにい!!」
 「ストーリーじゃないや、音楽なんじゃん」
 やってしまった。激しく後悔していた。
 開始十分で麦わらの一味が、クライマックスもかくやという大技を、みんなで入れ替り立ち代わりくりだすじゃありませんか。いきなりこんなシーンではびっくりして受け付けない。
 熟年の情事のごとく、ゆっくりと盛り上げてもらっていよいよ終盤になった時にやってもらいたいものである。
 「夏休み映画は子ども達の喜びのためにあるんだった……」
 そりゃそうだ、もうこんな、どこに出しても恥ずかしくないおじさんがここで四の五の言って邪魔していいはずない。
 わりぃ、オレ死んだ。
 開始十分も経たないうちから、心の中のローグタウンの処刑台の上で年若いワンピースファンに向かって「おじさん、もう映画にはついて行けない宣言」をしていた。

 進んでいくストーリーライン。置いてけぼりにされるおじさん。
 何やら不穏なヒロインが、闇落ちした厨二病ブイチューバーみたいなこと言ってる……
 にも関わらず、例のウタちゃんが歌いはじめると、これがまたやたらと良い。良すぎてもう、どうしようもなく音楽が短く感じてしまう。
 「あ……もっと……もうなんだ、ずっと歌のパートでいいよ」
 ストーリーに期待できなくなったおじさんは身勝手だ。
 一番感情移入したのがライブ会場にいる観客(モブ)だった時点で、本当に自分の青春がおわっていたのだと悟る。

 クリエイターの創作する麻酔コンテンツ(現実逃避コンテンツ)に無我夢中になるライブ視聴者と「騙されずに戦わないと飲み込まれるぞ」という現実ラインの対比構造が、やけに生々しく現代の時流を象徴している。ストーリーから振り落とされたおじさん的には、そのメッセージの部分だけ妙に浮き彫りになって胸に刺さって、不快だった。
 くそ、こんなになんの必然性もなくトラファルガー・ロウを出してくる映画によお……!!といった気分である。
 くそ、こんななんの必然性もなくコスチュームチェンジがある映画によお……そんな気分だった。つまり、ターゲットじゃないはずなのに胸に響く何かがあると感じていた。
 しかも音楽パートになると、画面に釘づけになり感情がイヤでも昂ぶり、なんならじわっと涙が滲んだりして、こんなに屈辱的な涙はないと思った。

 僕はミュージカルにライドできない方だ。具体的には北野武座頭市に乗れなかった方、というか。
 それが今回、なんとなく音楽の力を分からされてしまったのだ。

 こ……これが……歌の力……だ……と……

 だから冒頭でも言った通りエンドロールを見て開いた口がふさがらず、そこははっきり言って「負けて悔いなし」だと感じられるそうそうたる顔ぶれ。
 広告に触れない生活をしていたおかげで、貴重なルートをたどれてちょっと得した。

 ところで監督の谷口悟郎さんといえばルルーシュ。あのダークヒーローを描き切った監督である。今回も闇落ちした少女の最期までをしっかりと描いていた。

 あの映画のターゲット層は多分二十代前半くらいまでだろうけど、それにしてはやけにどっしり重たい内容だったなあ、という違和感が残ったので妻とその辻褄合わせをしてみた。

 思い返してみるとワンピースは、置いてきぼりにされた子供たちの話だ。
 自分の夢・野望を追いかけた親を誇りに思い(ウソップ)、かたや寂しく思い(ロビン)、または激しく憤り(サンジ)、そして背中を追う(ルフィ:この場合の親はシャンクス)という構図。内在するその気持ちを糧に、人生を前向きに歩んでいる者の話だ。
 もっと言えば親から手放されても、力強く歩んでいる者の物語。
 またそれとは対照的に、親が子を心理的に決して手放したりせず、最期まで寄りそってもらった者の話もある(ナミ・チョッパー)のだが、ワンピースにおいては<親は子供に寄り添うと死ぬ>という構造が多い(白ヒゲ)のだ。

 それは作者の人生観が滲み出ているものだと思う。

――ご家族とはどうしているんですか?
「週一で仕事場に泊まりに来てもらってます。子どもが二人いるんですけど、これがかわいいんですよ(笑)。もっと会いたいから、今はそれがすごいジレンマ。可愛いってことは仕事をする上ではじゃまなんです。例えば、友達だったら、忙しければ会わなくてもいいし、そのことを相手もわかってくれるけど、わが子だとそういうわけにはいかないでしょ」
ネットの海に転がっているインタビュー記事、どうやら「ジャンプ流vol.3」の「尾田栄一郎 DAY&WEEK」内に掲載されている模様

 生き馬の目を抜く弱肉強食の世界では、子どもにリソースを割くとあっという間に淘汰される場合がある。それは大海賊時代においても、週刊連載漫画の世界においても同じことだろう。
 その世界観が作中に反映されているのだなあ、と思う。

 夢(自分の使命)をひたむきに追う親の子は、まっすぐ育つのか。置いてきぼりにされたことで、ぽっきりと折れてしまった子ども話は、これまで出てこなかったような気がする。
 それは父性の不在が原因であり、間に合わなかった父親に対する娘の憤りひとしお。
 「海賊なんかやめなよ」
 いみじくも、作中のヒロインであるウタが言ったこのセリフが<それぞれのワンピース(夢・虚構)に夢中になっている親たちに向けられて放たれている>と、妻は感じたようだ。曰く。「お前たちはもうワンピースを追っている場合じゃねえ、家に帰ってまず、家族に寄り添えや」だそうだ。
 なるほど、さにあらんや。

 帰り途、ご飯を食べながら妻とまさに今みたばかりの映画について話してみてその解釈に目からうろこが落ちた。
 「夢を追いかける親に置いてきぼりにされた女の子を救わなかった尾田栄一郎はコロス、歌が最高?知らねえし、女の子に必要なのは父性なんだわ、夢なんかどうでもいいだろうが、ひろった命に責任を持ちやがれ」だそうだ。
 社会派の谷口悟朗監督が、その仕込み刀で絶対王者ワンピースにアンチテーゼを投げる構図になっている、と妻に説明された後「シャンクスたぶんこれから(本編で)死ぬんじゃない?」と言われ、またなるほど、と思わずうなってしまった。

 さもありなん。
 少なくとも今後、片腕と帽子を「次世代に託した」シャンクスがルフィに対してとる態度は<一度失敗して娘を失った男の、次なる選択>というバイアスがかかる。
 読者はそういう目で見るだろう。
 ベルメールさんや、白ヒゲ、オリビアと同じ道をたどりつつあるシャンクスの未来の伏線に見える。
 つまりフィルムレッドは、本編のクライマックスに向けた大仕掛けになっているというのは、夫婦で一致した見解だ。

 余談だが、劇中の挿入歌がクセになってしまった。妻が「音楽を聴きにもう一回見に行きたい」「(購入が79巻で止まっているコミックスについて)最新刊まで買って欲しい」と言い出した。僕としても全く同じ気分である。
 結局なんだ、してやられていた。

 何が「わりぃ、オレ死んだ」だよ。

 やっぱ生きてた、もうけ。

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