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副業リーマン:フードデリバリー奮闘記①~やってみよう!~


はじめに

 
私の名前は、木野幸次郎、どこにでもいる平凡なサラリーマンです。そんな平凡なサラリーマンが人生の節目にチャレンジした内容を、稚拙ながらも「奮闘記」として文章を起こしました。

会社員になるまで

私は整理就職氷河期の中で大学生活を送りました、卒業を控えた年に就職活動をするわけですが、新卒に対して企業の買い手市場となっていた当時、一連の活動はただただ辛く困難を極めていた思い出ばかりでした。採用人数を大きく制限された中で、エントリーシートや試験などが実施され、企業面接までたどり着けばまだ良いほうでした。そこを突破し、面接では狭き門に応募する新卒学生を振るい落とすための高圧的な面接、回答に窮するような質問をされ、それになんとか回答したところで、そこからさらに斜に構えたような質問や論理の矛盾で詰められ、自身の未熟さを感じたと同時に、内定を得るまでの難しさを感じてました。

一方で、公務員試験に向けた勉強もしており、この勉強にも多く時間とお金を投じてました。なんだか高校生の時の受験勉強を繰り返しているようで、無味無乾燥な思いで取り組んでいましたが、幸いにして、当時私はとある企業から内定を得ることができました。公務員試験も控えていましたが、もともと何時間も連続して机に向かうのが苦手であり、内定を得たことで両親も喜んでくれたこともあり、公務員試験を受けることなく、残りの学生生活を送り、卒業しました。お金もなかったので卒業旅行も行かなかったのですが、今振り返ると借金してでも行っておけば良かったと思います。生活費ですら奨学金という名のもと借金をしていたので。

すでに斜陽だった

内定頂いた会社は業界の中では大手でしたが、経営者の失策や世の中の変化スピードについていけず、数年に1度はどこぞの事業場でリストラをしていました。私が所属していた事業場でも色んな理由により、多くの先輩が会社を去っていき、またオフィスに賃貸費用を少しでも安くするための拠点移動もありました。日本の会社は解雇規制があるため、欧米のように戦力外と判断された社員を容易に解雇することができず、社員を辞めさせるための施策が実施されます。その一つが転勤であり、事業場の統廃合です。事業を統廃合することで、遠方へ転勤できない社員を減らし、さらには固定資産を売却することで経営効率を図るもので、社員にとっては片道切符の統廃合があちこちで起きていました。異動した先であってもまたいつ統廃合や転勤があるかもわからず、所帯持ちの方々は家族帯同で異動するか、自宅を売却もしくは貸出し、或いは単身赴任するかという話題が常でした。

会社員である以上、異動や転勤は基本的には従わなければならず、いつかは戻してもらえるというものではなく、住み慣れた場所やローンで購入したマイホームに戻れるのも未定な異動がただただ多かったです。

仕事は大変でしたが、仕事そのものが情熱を傾けられるようなプロジェクトや心温かい上司、仲間、楽しい雰囲気もあり、私は幸いにして仕事を継続することができていました。

そんな中、私の会社での勤めも15年が過ぎ、福岡から大阪への異動辞令が出ました。異動先となる事業場は社内の中でも比較的堅実な経営をし続けており、私がこれまで見聞き・体験してきた社員を減らすための嫌な扱いがあまりないと認識していたので、異動先が決まったのは嬉しいものでした。転勤もないだろう、と当時は思っていました。妻はフルタイムで仕事していましたが、当時は転職市場も盛んで大都市圏の大阪なら転職できそうな点、倅もまだ未就学だったこともあり、後で家族を呼び寄せるつもりで私はまずは単身で大阪での生活を始めることとなりました。

そして新しい職場で感じたこと、フードデリバリーをはじめるきっかけ、フードデリバリーで経験したことについて、さながら思い出日記のようなもので整理しておこうと思い立ち、この度文章を起こしてみることとしました。

コロナ禍直前に転勤して勤め先で感じたこと

新しい異動先の上司、仲間は好意的に私を迎えてくれました。私にとってはこれまで会社で培ってきた自身のスキルや経験をどこまで役立てることができるか、という点は心配の種の一つでした。しかし、会社員である以上、拝命した仕事に一生懸命向き合って頑張ろうという覚悟で取り組みました。

覚えること、理解することを1日でも早く吸収し、早く皆さんの役に立ちたい、会社にも貢献したいという思いで1ヵ月、2ヵ月が過ぎていきましたが、何かこれまで仕事してきた組織風土とは匂いが異なる違和感を感じてきたころでもありました。

寂しい職場でした

職場はフリーアドレスでした。でも基本的には関連する部や課で暗黙のスペースがありました。私は朝出社して、知っている方・知らない方問わず挨拶するのですが、なぜか活気がない。私が出社以降にオフィスに来た方も、淡々とフリーのアドレスに座り、私の隣や向かいの椅子にも座ります。こちらからは挨拶するも、何か寂しい感じでした。もちろん朝から元気良く挨拶して職場に入ってこられ、お互い気持ち良い朝の挨拶を交わし、多少の雑談もしつつ席に座る方もいましたが、何か組織全体どことなく活気というか、職場風土としての明るさが乏しいような気がしていました。

もちろん、明るさや活気がそのまま仕事の内容に直結するようなサービス業のような仕事ではなかったので、人それぞれの仕事を着実に実施するものではあるのですが、ただただ違和感ばかり感じてました。電話では元気に大きな声で相手先と電話している方であっても、部署内では笑顔や愛嬌等見ることなく、ただただ黙々と仕事されている方が多かった、というのが私の印象です。

ひょっとして私は職場の方々、所属する課のメンバーに嫌われているのだろうか、と心配にもなりました。当たり前ですが一人一人顔や性格も違うので、社交的な方もいれば、そうでない方もいますし、決して挨拶しない方や愛嬌ない方が仕事ができないとか、性格が悪いとかそういうわけではないのです。ただ、ただ、私は何か違うなと思いつつ仕事していました。かつての職場が私にとって恵まれすぎていたのか、あるいは私のようにおしゃべりな方が多かったのでしょうか。会社は基本的には仕事をするところではありますが、決して仕事だけではない潤滑油的な会話や雰囲気も個人的には大切だと思っていましたし、過去の職場もそんなところがありました。

コロナ禍突入

コロナ禍に入り、職場のルールがどんどん変わり始めました。部署内でコロナを発症してしまった方がいた場合は、オフィス内を消毒するため、数日立ち入れなくなり、また在宅勤務比率も高まり、出張なども減ってきました。社内・社外であってもリモートでの会議が浸透しはじめ、家にいながらも仕事ができるようなルールがしっかりと整備され、社会全体でリモートワークへ大きくシフトしていった時代でした。

通勤の時間がなくなり、会議も少なくなりました。会社の会議には自らが主体的に話をする会議もあれば、ただ参加して聞いているだけの会議があり、在宅勤務になって、リモートで会議に参加し、「ただ聞いているだけの会議」の時には時間を有効活用することができました。また、仕事に集中・専念できる時間は増えたものの、かつてのように会社で同じ課の仲間で雑談したり、仕事終わった後に一杯飲みに行ったりといったこともなくなりました。仕事への集中、雑談タイム解消などいずれも良し悪しでした。

家族のいる福岡に帰ろうにも、自分自身や家族へのコロナ発症リスクを高めるようなことはするまい、とただただ在宅での隠遁生活、淡々仕事のような割合が非常に増えました。リモートでの会議は、会議前後の雑談時間をも解消し、一見効率的になったように思うものの、会議に参加していても或いは自身が会議で発言していても何か違う感覚がありました。会議に参加しているメンバーの顔が見れないからです。カメラのON/OFFは個人に委ねられますが、わざわざカメラをONにすることは少なく、音声遅延を低減する上ではカメラOFFも推奨されました。仕事という観点では、良い面もあったかと思いますが、負の面がまったくないのか、というと多くの疑問が残ります。

たまに出社した時は、同じ課のメンバーにも挨拶をしたところで、目をあわせる程度だったり、「はい、はい」といったもので、これはコロナ禍に入る前も同様なもので、個人的には「あぁ、この方々はもともとが残念な人たちちだったのか、これまで職場、上司、先輩らに恵まれなかったのか」と心の中で呟いてました。一方で、私の言動によって、仲間を苛立たせたり、傷つけてしまったからかもしれない、私は嫌われているのかもしれない、とも感じました。ただ一人、陽気で面白い1人の先輩を除いて、課の人たちとの仕事での協働は、ただの作業のように思える日々でした。
会社は仲良しごっこの場所ではなく、仕事をする場所ですし、人によって合う・合わないはあるものの、それらとは関係なく組織として仕事をするものですので、挨拶すらもままならない方々に対しては「こういう生き物なのか」と割り切っていました。

フードデリバリーでの初注文

大阪の社宅の郵便受けにはフードデリバリー各社の広告チラシがよく投函されていました。同じ会社であっても1ヵ月経つとまた投函されており、それが複数社なので、すごい量のポスティングです。誰もがもっているスマホを介して注文すると、美味しい食べ物を迅速にお届けするといったもので、運営側は潜在顧客発掘のために、注文時に顧客が金銭感覚としてお得を感じさせる種々のクーポンを大量にばらまいていました。そこには多額の広告・プロモーション費が投入されていることは容易にわかるものでした。各社ある中で、在宅勤務時の昼食として初めて注文したのはUber eatsでした。

Uberは以前の部署で米国出張した際に、ユニコーン企業の一つとされていたタクシーの配車会社として、よく利用していました。指定した場所まで迎えに来てくれ、目的地の場所の指定もスマホ内で完結し、現金のやり取りもなく、領収書もメールで届けてくれる革新的なサービスでした。かつては運転手に行き先を伝えても、上手に伝えきれないときや、運転手が地理に明るくなかったり、遠回りされたり、おつりのやり取りに問題があったり、レシートが発行できなかったりとストレスが多かったのですが、それら課題を一新したUberのタクシー配車サービスは画期的なものでした。

運転手とお話しする機会も多く、主婦、仕事をリタイアされた方、学生、副業の方、色んな方が運転手でした。ヒスパニック系で英語が不得手な方もいましたが、Uberの運転手側のアプリにより、地理に不慣れな方であったり、現金を持つ必要がなかったりと、Uber側、運転手側(ギグワーカー)、乗り手(客)、三方良しのビジネスモデルだと当時は本当に驚きました。

そのUberが出前の受発注及び配達のプラットホーム、Uber eatsのサービスを展開したことはニュースでも知っており、初回注文時の無料クーポン分が2500円もあったこともあり、私は初めて注文しました。注文した食べ物が今どのような状態なのか、お店で調理中なのか、配達中なのかもわかり、また配達しているドライバーが今どこを走っているかもわかります。タクシー配車した際、自分が呼んだタクシーが今どこを走っているか、というのを地図上で把握できた記憶がよみがえりました。またどのような方が配達しているのか、顔写真やコメントもあり、これもまたタクシーと同様のインターフェースでした。

自宅のピンポンがなり、配達員さんが到着しました。自宅までもってきてくれ、お金のやり取りも不要でした。
「Uberです!ご注文ありがとうございます!」と配達員さんの目は活き活きしており、コロナ禍でマスクはしていましたが、笑顔で言っていることがすぐわかりました。私も嬉しくなり、
「配達ありがとうございます、助かりますよ」と伝え、配達員さんは
「またお願いしますね」と気持ちよい言葉を残し、颯爽とバッグを持って去っていきました。

自宅には、宅急便配達員の方も配達に来ますが、私はUberを注文し、自分が注文したものを受け取った際に、何か別の感覚を覚えました。


フードデリバリーをやってみよう

米国出張時にUberタクシー乗った際、色んな方が運転手でいました。彼らは日本でいうところの二種免許を有しているわけでも、タクシー会社に勤めているわけでもなく、スポットで仕事しており、それはバイトでもなく、今でいうところのギグワークです。いつはじめて、いつ休んでも良い、という気楽なものでした。その緩さが好きな方や、おしゃべり好きな方も多かったです。私が米国で乗ったUberタクシーの運転手のように、気軽にスポットでやってみようと思いたち、運動不足と興味本位でフードデリバリーを初めてみる決意をしました。


フードデリバリー配達員での登録

インターネットで調べてみると、配達に必要なものは最低限自転車もしくはバイク、スマホ、それから保温用のバッグがあれば良いということでした。原付バイクも考えましたが、いきなりバイクを乗ることにも抵抗ありましたし、万が一事故をして、ひと様に迷惑をかけたり、勤め人としての仕事に支障が出るようなことは起こしてはいきないと思いましたし、交通違反による罰金も避けたかったこともあります。まずは自転車で気軽にやってみよう、そんな思いでした。
大阪に来てからの移動手段は徒歩もしくは公共交通機関のみで、自転車を購入しておけば、フードデリバリーをやらなくなったとしても自転車で色んなところに気軽にいける、それからバイクほど維持管理にも手間がかからないだろうという目論見でした。配達では数キロの距離を走ることも想定したため、どうせなら早く、長い距離を疲れずに走ることができる自転車を考えており、クロスバイクか電動自転車のどちらかから選ぶことにしました。ここでもズボラな私はクロスバイクはメンテナンスも大切、ということも自転車ショップで聞いたので、普通のママチャリの電動自転車としました。私の背丈では27インチが良いといことで、そのまま店頭にあった電動自転車を購入しました。
食べ物を入れるバッグはインターネットで購入しました。

今思えば、友人や識者などにもっと相談してからでも良かったと思いますが、会社でそんなことしている方はいないだろうと思ったところと、なかなかそうしたことを気軽に質問できる友人・知人もいなかったこともあり、インターネットで仕入れた情報量の中で、必要な道具をそろえました。

新しく買った電動自転車は快適そのもの、まるでどこまでも走れるんじゃないか、自転車を漕ぐことも楽しくなり、購入した週末を周囲を自転車で散策すると、気が付かない地域の発見がたくさんありました。

Uberで登録して配達開始

Uberへの登録は以外にも簡単なものでした。最初は週末から配達をスタートしました。Uberの「出発」をオンすると心地よい音が鳴ります。私は大阪の京橋界隈に住んでいたので、お店がたくさんあるであろう京橋駅最寄りまで行って待機しました。

事前にネットで仕入れた知識で、注文された料理をお店で受領するまでの行為全般を「ピック」、注文したお客様にお届けするまでを「ドロップ」と表現されている情報にも触れ、インターネット上では配達員さん、もしくは配達員さんらに情報提供する多くのサイトがありまして、事前にそれらを読んだことも、配達するにあたっての、不安や心配が和らぎました。

学生時代、初めてバイトした時は当然教えてくれる方がいたわけであり、会社員として配属された先には、上司・先輩がいて、仕事のイロハを教えていただきましたが、この配達員開始にあたっては、良くも悪くもそうしたやり取りがまったくない状態で私も開始することとなりました。

初めての配達

すぐ鳴りました。「鳴る」という表現は、Uberが配達員に、
「ここで配達がありますよ~」とスマホ画面に情報を表示し、あわせてこれまた心地よいサウンドでそれを通知していきます。
私が始めた2021年3月末は、お店の場所だけが表示されるもので、お客様がどこなのかは最初はわからなかったです。画面に表示されたボタンを押すと、お店のマップの場所が表示され、ドキドキしながらお店までいきました。お店までいき、
「こんにちはUberです」と挨拶して入りました。最初のお店は牛丼の松屋さんだったと思います。お店の方は慣れたような感じで、
「番号お願いします。」と。私は、
(えっ、番号ってなんだ?)と思ってUber eats配達員用のアプリをスクロールすると、5桁の番号があり、それを読み上げると、
「はい、お願いしまーす」と食べ物を渡してきまして、おそるおそる受け取りました。アプリを再度のぞき込むと、「配達開始」のボタンがあり、それをクリックすると、配達先が示されます。初回はかなり遠く感じながらも配達先のお客様の建屋までつきました。集合住宅でした。建屋の入り口すぐにある部屋番号を入力する機器にて呼び出し、建屋まで入ります。指定の階にある部屋前につき、再度ピンポンをします。私の最初のお客さんは中年の女性でした。
「いやぁ~、いつもありがとね」とドアを開けながら笑顔で迎えてくれました。
「はい、これですね、ご注文ありがとうございました。」
「ありがと、ありがと」と感謝されました。何かとても嬉しい気持ちになりました。ただ、注文された出前を運んだだけなのに。。。ただただ嬉しくなりました。

会社の仕事では、”仕事”としてもちろん取り組むわけですが、”やって当然”、”当たり前”というのが自身の中にも周りにもあるのか、喜びや嬉しさという感情を少なくてもこの大阪へ転勤してから感じたことは皆無でした。

いつ始めて、いつ止めても良し

1件、また1件と配達を重ねていきます。どこのお店にいくのか、どこの地域まで運ぶのか、当初はそんなレベルでもなんだかワクワクしていました。Uberの仕組みは画期的なものでした。自分がいつ、どこからどこへ配達したのか、アプリ内の履歴としてわかり、今配達代金がいくらかもすぐわかり、その配達代金は翌週に振り込まれます。当初は週末だけの配達でしたが、いつ始めてて、いつ止めても良い仕組みなので、平日在宅での仕事を終えて、
1時間でも、2時間でも気の向く限り、自転車で配達すればお小遣い、お手当が振り込まれる、なんて気軽なバイトなんだ、と思いました。

需要増減に対応した報酬

モノの値段は需要と供給で決まる、最近ではお金感覚に鋭い中学生や高校生でも理解している内容だと思いますが、Uberもまたこのフードデリバリーにおいては同様でした。もともとタクシー配車事業のころから同様のロジックで料金が算定されており、例えば繁華街、ピークタイムでタクシー乗る方が多い時間帯、空きタクシーが少ない時間帯でUber のタクシーに乗ろうとすると、顧客側の支払い金額は若干割高になります。また運転側では雨の日や地域の催し時、渋滞で移動効率が良く時間帯などでタクシーが不足するタイミングで敢えて稼動することで、従来よりも高い料金を得ることができる仕組みになっていました。
Uber eatsについても、配達する側の観点ではこうした考え方は踏襲されていました。例えば雨の日は配達する側は躊躇うものがあります。一方で、注文するお客様側は、外出してお弁当を購入したり、スーパーで買い物するのも億劫になるため、気軽に注文する傾向にあります。つまり注文側の需要増に対して、配る側の供給が足りないとプラットホームを提供しているUberにとっては儲けの機会損失となるからです。悪天候で稼動を躊躇しがちな配達員に稼動してもらうために、「飴」を提供します。つまり、従来よりも1件あたり運ぶ際の報酬を上げることで、増加する注文需要に対応しようとする仕掛けです。
よく考えられています。これは時間帯によっても変わります。早朝や、昼食、夕食時などは単価が高くなります。配達員業界ではブーストなどと呼ばれていました。また一定回数以上配達すると、さらにまとまった報酬を手にすることができ、それらは「クエスト」と表現され、略して「クエ」と呼ばれてました。なんだかゲーム感覚です。

私が始めた当初は、フードデリバリー各社が膨大な広告・宣伝費でサービスを宣伝し、注文するお客様側にもクーポンを多くばらまいており、さらにコロナ禍であってころもあり、注文は非常に多かったです。増大する注文側の需要に対して、運ぶ側の配達員の確保についても、すでに配達員として稼働している方から紹介コードを得て、配達員登録すると双方に謝礼金が支払われるという、最近のインターネットサービスでユーザーを増やす手法がとられていました。

ベテラン配達員さん、インターネットで情報提供しているサイトにもそうした情報が公開されており、これにより配達員も多く増えましたし、紹介料だけでかなりの利益を稼ぐ人がいたことも容易に想像つきました。

Uberドロップ先は当初は不明でした

Uberでの配達を重ねていき、より多く配達して報酬を得ようとすると、当然ですが、配達件数を多くこなしたほうがよいことに気がつきます。しかし、ピックしたお店からドロップするまでの距離が近いのか、遠いのか、当初はわかりませんでした。お店でピックを完了してから、初めてドロップ先が近いのか、遠いのかがわかります。
ドロップ先近くでまたUberが鳴り、何件か配達をしていくうちに、どんどん家から遠ざかり、気が付くと自宅から15キロくらいも離れた場所になっていたこともあり、疲れ切った身体で帰るのがとてもしんどく思うときもありました。

しばらくこうした事が多かったため、できるだけ遠くにいかないようにするにはどうしたら良いのか、ということを考えるようになります。たどり着いたのが代表的なファーストフード店を選んで運ぶことです。なぜならファーストフード店は各地にあり、注文する側の心理としても、注文したら早く食べたい、できるだけ温かいものを食べたいという気持ちでしょうし、それがゆえに家から近い店で注文する、という仮説のもと、ファーストフード店であれば、遠くに飛ばされることがないだろうと考え、メジャーではないお店を避けた時期もありました。
しかし、ドロップした先で、再度最寄りのお店でUberをピックしてしまうと、その作戦であっても、遠くへ流されることもあります。賢い方は、ひたすら最大手ハンバーガー店のみに集中し、運び終えたドロップ先でUberが鳴ってもそれを取らず、同じハンバーガー店最寄りまで戻り、そのハンバーガー店をハブにした地域をひたすら配達する方法になります。

ひたすら同じお店で半径1キロ、2キロ界隈だけを運びまくる作戦としては良いように思いました。私も数日は試みたことありましたが、ずっと同じお店ばかりというのはストレスは少ないですが、なぜか私は長続きしませんでした。余計な楽しみなど考えず、効率的にひたすら稼ぐ、という観点ではその作戦は多いに有効だったと思っています。

クエスト達成が二次目的へ

何件か配達をしていきクエストを達成していくと、クエストのクリア件数や報酬額も上がっていき、もっともっと、と金銭的な欲も出始め、さらに長時間頑張ろうとします。本来、平日は気が向いた時そして週末メインの配達が、クエスト達成のため、平日仕事終わった後も1,2時間だけの配達だったのが3時間を超える日も出てきます。電動自転車とはいえ、お客様先の建屋最寄りでは徒歩移動、4階ときには5階まで階段を使うこともあり、疲労も蓄積します。それでも、目の前の人参、もといクエスト達成の報奨金に心を奪われ、血眼になって配達してしまっていました。

配達が楽しい!

色んな事情があれど、配達をはじめてからは、楽しいことばかりでした。

行ったことのないお店の発見


大きなチェーン店はもとより、地域ならではの個人店舗、ラーメン店、寿司屋、各種ファーストフード店、中華、イタリアン、居酒屋、ちょっと洒落たレストラン、割烹店、店舗は実に多様です。こんなお店で食べてみたいなぁと思うお店も多くありました。店内でお客様が注文した料理が容器が透明のタイプだと見えるときがあり、個人的にも食べなくなるような料理の発見、お店の雰囲気なども見るものがどれも新鮮でした。
私が配達員を始めた当初は、店内のお客様も少なく、店舗運営の自粛期間もあったことから、お客様がどのような食べ物を注文しているか、などは時間帯によってはわからない時もありましたが、それでも毎回店舗にいくだけでも楽しみでした。

お店の方との会話

会社での会話は最低限、日々一緒に同じ仕事するメンバーとの会話もそっけなく、挨拶もなければ雑談もほとんどない中で、お店で調理を待っているほんのわずかな間であったり、ちょっとした事で会話する機会があります。もちろん中にはそっけないバイトさんやお店の方もいますが、サービス業に従事しているのか愛嬌や笑顔あるお店の方との会話のひと時だけでも嬉しく、そして楽しく感じました。番号の読み上げは最低限ですが、今日は暑い・寒いとか、お店のことで、
「素敵なお店ですね」
「これ、めっちゃ美味そうですね」
とついつい私が配達とは関係ない余計な一言もあれば、お店の方も、
「今日は配達どうだい?忙しいかい?、お疲れ様」
とねぎらいの言葉もかけてくださり、これがトリガーになってちょっとした会話に発展することもあります。本当に短い時間ではありますが、こうしたちょっとした会話だけでも嬉しく、そして楽しく思える瞬間です。何度かお店にピックでいけば、お店の方も覚えてくださるときがあり、お店のご主人が頷きながら
「よろしく頼むよ、いつもありがとな!」と私の目をみながら威勢良くいわれると、なんだか涙がこぼれそうなになりました。だって、そんな感情込めて威勢良く言われたことなんてほとんどないからです。嬉しくなり、
「ありがとうございます、大切に運んできます、いってきます!」と私も元気よく返答。コロナ禍で私もご主人もマスクをしていますが、ご主人の目元は笑っており、マスクに隠れた口元もきっと笑っているであろうと容易に想像できました。目は口ほどにも言う、とはよくいったものです。

配達道中も新しい発見ばかり

ピックまでのお店までの道のり、そしてドロップまでのお客様先までの道のりもまた楽しいです。当初は初めて走る道ばかり、色んな発見がありました。広い道路、狭い道路、川を渡る際には空が開け、季節、時間によっては見える景色が毎回異なります。
ちょっとした神社・仏閣、その他各種史跡、古い建屋、過去の何かしの歴史を示唆する記念碑、各種小売店、じっくり寄りたい場所ばかりですが、道中にそうした発見をしつつ、配達の合間のちょっとした時間に、そういった気になった何かをゆっくり見て、ウロウロ歩き回ったり、ジロジロみたり、記念碑を読んだり、近所・地域の方(お年寄りばかりでしたが)とも話したりとこれまでの生活には全くなかった体験がありました。地域のちょっとしたことを自宅に帰っては詳細に調べたりするきっかけにもなり、その調べた内容をBlogに書くネタにもなり、自分自身で調べてそれを記述すると、何かとても満たされた思いになりました。
私が感じたちょっとした疑問を持った方の参考になればと思い整理した内容も多かったです。コロナ禍で通勤時間もなく、各種行事・イベント、飲み会等もない中で、大阪での単身赴任にてそうしたことをまとめるには適度な時間がありました。家族に会えないことを除けば。

配達先もまた楽し


配達先も多様で、お金持ちの方が住んでるであろうタワーマンション、とてもつもなく広い敷地内に多くの高層住宅が立ち並ぶエリア、おそらく戦前からの狭隘な道路がそのまま残り、古い戸建て立派な住宅などが密集している戸建てエリア、細い道が連続する奥まったところにある低層の集合住宅と多様です。私が住んでいた界隈の大阪京橋の都島区、城東区は色んな住宅タイプが多くあり、大都会のようでもあるし、ご近所付き合いが盛んな下町タイプのような場所であったりと、そうした場所・地域を巡るのも楽しみの一つでした。配達先は住宅のみならず、各種サービス業店舗、小さな町工場などにも届けることもあり、実に多様でした。そうした店舗や工場にもフードデリバリーとして入っていけることも楽しみの一つでした。なぜなら自分がまったく知らない世界がそこにあるからです。

そうした色んな建屋内に入るのも刺激的でした。特にお金持ちの方が住んでるであろう高層住宅は、立派な共有スペースがあり、コンシェルジュの方がいたり、高層階まで移動した際には、大阪市内を一望できるような景色を眺めることもできました。注文されたお客様は「置き配」も多かったですが、対面でやり取りする際にも、ねぎらいの言葉をかけてくださる方がおり、こちらはバイト感覚でやってはいるものの、感謝される、というの私のモチベ―ションを上げてくれます。当たり前のことをしているだけなのに。

一方で配達を切り上げて自宅まで戻るのに10キロ以上の道のりを疲れた身体で戻るような日も多く、他の配達員さんはどのようにしているのだろうか、と思い、積極的にコミュニケーションとろうと思いました。ピック時のお店が同じだった場合で、お店がピークタイムで食べ物を受け取るまでに数分待つこともあります、また飲食店が多い地域で、Uberからの「鳴り」を待機している際、同じように待機している配達員さんに挨拶をして、交流をしてみようと思うようになりました。

そんな中、2021年6月の梅雨時に、地域の配達員の先輩の鳥居さんとの出会い、Uber以外のフードデリバリーサービス、出前館に登録することとなります。

副業リーマン:フードデリバリー奮闘記② ~出前館にも登録~へ続く





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