ブックレビュー「なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか」
読んだきっかけ
書店で平積みされていた「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をぱらぱらめくってみたら結構面白くて、10分くらい立ち読みしたのですが、そのときに引用されていた文章にピーンときて、その引用元文献が最後のほうのページに書いてありましたが、それが「なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか」でした。
早速図書館で予約して借りて読みました。
面白い本でした。
内容
内容は、神学の大学教授として熱意と理想に燃えていた著者が、燃え尽きて仕事をできなくなり退職を選択してから考えた色々なことが書かれています。
燃え尽き症候群(バーンアウト)とは、よく使われる言葉ではあるものの、その本当の定義は人によって千差万別で、特にマーケティングでは過剰な意味をまとって使われがちであるとのことで、著者が別途定義をしているのは、理想と現実のギャップで起きるもの、ということです。バーンアウトの症状特性としては、消耗感、脱人格化、個人的達成感の低下、の三つがあるとのことです。
著者は、バーンアウトして大学教授を辞めてから、大学で講座を受け持つ等の働き方に変えながら、どうしたらバーンアウトしなくてよくなるかを探求し、「砂漠のキリスト修道院」のベネディクト会修道士達に多いなるヒントを得ました。
心にひびいた抜粋
「労働者が「人と仕事のミスマッチ」をもっとも多く経験する分野として、作業負荷、裁量権、報酬、コミュニティ、公正さ価値観の六分野を挙げている。そしてこのような分野でミスマッチがあると、労働者がバーンアウトに陥る可能性は高くなる。重要なのは、バーンアウトの原因は働きすぎだけではないという点だ。仕事量は何とかこなせるレベルでも、誰にも評価してもらえない、裁量権がまったくない、あるいは仕事が自分の価値観と矛盾するといった状況なら、その労働者がバーンアウト・スペクトラムに位置づけられる可能性は高い。」
「成功への期待があるからこそ、私たちは残業をし、追加のプロジェクトを引き受け、たとえ昇級や評価がもらえなくてもがまんできるのだ。だが皮肉なことに、勤勉に働くことでよい人生が手に入るという理想を信じること自体が、良い人生を手に入れる際の最大の障害になるのだ。」
「バーンアウトした労働者が感じる消耗感は、仕事に入れ込みすぎたことが原因だ。そしてその消耗感が生じるのは、仕事を人格的なものとしてとらえていた労働者が、じつは雇用主の優先順位は非人格的で冷たいものだ、という事実に直面したときだ。」
「悪魔は人間の価値観をひっくり返す。そうすることで悪魔は、私たちが生きるために働くのではなく、働くために生きるように仕向けるのだ。」
「多すぎる仕事と、少なすぎる裁量権はバーンアウトを引き起こすが、ソローの生活は、仕事を制限することで自己決定力を養っているのだ。」
「ポスト工業化時代の女性や少女たちは「ほしいものは何でも手に入れることができる」と繰り返し聞かされて育った。子どももキャリアも、コミュニティも友情もすべて手に入ると教えられてきたのだ。けれどすべてを手に入れること、特に母親でいること自体が仕事とみなされる状況ですべてを手に入れることは、その人の人生全体が「トータル・ワーク」という残酷な論理にさらされることを意味する。」
「子育てがじゅうぶんにできない理由として仕事をいいわけにするのをやめたら、私たちの人生はどのようなものになるだろうか?自分の時間を、生産性や(ほかの人の)利益に基づいて配分するのをやめたらどうなるのか?それをした場合、私たちにはどのようなあり方が可能になるだろうか?もし自己決定が政治的な目標であるなら、労働は制限されなければならない。」
「仕事を、忘れる。それは俗世間では実践することがほとんどない精神的鍛練だ。だがそれこそが、修道院におけるきわめて人間的な働き方を可能にしている要因のひとつだ。」
「修道院の仕事には給料も、昇進もなく、生産ノルマもない。また、仕事がまだ終わっていないという心配が修道士の頭をよぎることもない。だが同時に、彼らは今日の時課を延期する代わりに、明日は二倍祈るといったことはできないし、他者に認めてもらうために、祈りで自分の価値を証明することもできない。」
「修道士たちは計測可能な成果を求めてはいないかもしれないが、それでも自分たちの生活を支えていく必要はあるため、俗世間とも関わらざるをえない。なぜなら金があるのは、その俗世間だからだ。・・・収益性をあげながら、自分たちの使命の品位も保てる適正なバランスを求めて試行錯誤を繰り返してきたのだ。」
「バーンアウトは、何かおかしいぞ、生活を大きく変えないと危ないぞ、と私自身に知らせる合図だった。・・その害は知覚しにくく、劇的な崩壊というよりはむしろ徐々に進行し、やがて大きな浸食を引き起こすからだ。」
最後に
著者は、仕事に人格を投影するような働き方をすることがバーンアウトを引き起こしてしまうと考えています。修道士たちが仕事(午前中の3時間のみしている)の時間を終えたら仕事を忘れる、と言っているのに衝撃を受け、仕事とは、お金をもらうためにするもので、そこに意味を見出そうとするから、理想と現実のギャップに苦しんでバーンアウトしてしまうのだ、と考えるようになっていきます。
私自身、今は復職していますが、まさに著者と同じ状態だったのだな・・とひしひしと感じました。合わない仕事にかなり入れ込んでいましたし、帰宅後はワンオペ育児に追われていましたし、正直言って、家事育児も労働と考えるならばブラック企業もびっくりの働きっぷりでした。そして、自分ひとりの自由になる時間もありませんでした。
会社が期待する働きをしようと熱意に燃えていたのが、結局休職して、ぼーっとする日々が続いても会社は変わらず動き続け、自分の抱えていたプロジェクトも継続し続けたので、あ、なんだか私は片思いでどっぷり入れ込んでしまった人と同じだな、相手は私のことなんとも思っていなかったのね、と気づきました。
そして、今まではアレルギーが出そうな思考である「仕事はお金をもらうためにする」という考え方が、自分の心身を守るための最良の思考であることがわかりました。今までは、仕事のために生きる、そして後からお金がついてくる。仕事に一番大切なのはやりがい、という考え方でしたから。
頑張って働いて、疲れがたまった人におすすめの本です。
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