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マナーや教養は何のために?

今(?)Twitterで話題になってるお箸の持ち方マナーの話。知らない方はこちらを。発端となったものらしいです。

これに対して、

「最近限のマナーくらいちゃんと教えてやれよ」とか

「初対面の時はそういうマナーの部分でしか判断基準ないから、備わってたほうが良くね」とか

「そういうとこだけで判断するのは良くないかもしれないけど、社会に出た時に何かと言われることも多いし、今の内に教えてあげるのが吉なのでは?」

などなど、少々手厳しい意見が多く見られました。

この手の話を見る度に思うのですが、日本では何かとマナーや教養に厳しい面がある気がします。それが備わっている事こそ美徳であり常識であると考えられている節がありそう。今回の箸の持ち方についても、綺麗に持つのが当たり前だという考えを持つ人が多い為に、批判の声が多かったのではないかと考えています。会社とかでも、新人が社会のマナーを知らずに怒られるって話もよく聞きますしお寿司。

まぁ、たしかにマナーや教養が備わってる人の方がいい印象を受けるのは間違いないですよね。実際、そういう人を見た時には「おっ、育ちええやん」って思うし、身につけておいて損が無いのは確実でしょう。
ちなみに自分は箸の持ち方を親に厳しく指導してもらったおかげで、「箸の持ち方綺麗だね」と褒められた経験があります。ありがとう、おかん。

ただ、そういうことが出来てないからといって、こぞって批判するのはどうかなと。ちょっと厳しすぎん?

そもそも箸を綺麗に持つマナーとは何故存在しているのでしょうか。それが何故かは自分にはわかりませんが、そのマナーの本質を蔑ろにしたまま「箸を綺麗に持つべきだ」というのを押し付けるのは如何なものかと。

箸だけでなく鉛筆だって正しい持ち方がありますよね?ほとんどの人は正しい持ち方をしてないだろうし、それを指摘する人もあまりいないように感じます。箸と鉛筆の何が違うというのか。
それなのに、箸だけ「マナー」だからと注意されるのはおかしいと思うのです。おかしくない?

ただ、日本というマナーや教養を大切にする国に生まれた以上、永遠につきまとってくるものなんでしょうね。もうちょっとマナーや教養に対して寛容な社会になれば良いなと思います。難しそうですけど。

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