論理的な文章が書けない
私は自分の文章が嫌いだ。
どんなに頑張って書いたって稚拙に感じる。
経験談や時事ネタを絡めつつ、自分の主張や意見を軽やかに論述している作家さんが羨ましい。
事実をそのまま伝えるだけならば訓練次第で誰でも書けるようになると思うが、アカデミックエッセーのような、論拠を交えて客観性を持たせつつも何かを主張するような文章は、どのような経験によって獲得できるのだろうか。(元々の知識量や才能にも左右されるのはもちろんだが)
自分の無能さで死にかけている。。。
「大人の小論文講座」みたいなのがあれば通いたい。。。
そうだ。もう一度大学へ行けばいいのではないだろうか。
大学へ行って、もう一度レポート地獂を味わえば、文章が書けるようになるのだろうか。
私はもう一度大学へ行きたい。
そう思い立った瞬間、私の頭の中で小さな光が点灯した。まるで古びた映画の中で、主人公が重大な決断を下すシーンのようだ。しかし、その映画はいつも私のような素人が監督しているようで、脚本はごちゃごちゃになりがちだ。
まず、私の文章の最大の敵は、無秩序な構成である。私の思考は、迷子になった子猫のように行き当たりばったり。論理的な文章を書くためには、その迷子の子猫をしっかりと紐で繋ぎ、目的地まで導く必要がある。つまり、しっかりとしたアウトラインを作成し、その道筋を決めることが重要なのだ。
次に、私の情報処理能力の問題がある。情報は海のように広がっているが、私の舟は小さく、漕ぎ手の技術も未熟である。信頼性のある情報を漁るには、もっと広い視野と確かな知識が必要だ。そのためには、学問の海での航海技術を磨くしかない。誤った情報に惑わされないために、しっかりとした知識の網を広げ、真実を捉えることが求められる。
そして、私の表現力の欠如。これはまるで、色彩豊かな世界を白黒写真でしか表現できない画家のようだ。もっと色とりどりの言葉を使い、読者の心に強烈な印象を残すためには、言葉に対する感受性を磨く必要がある。それには、多読多書が欠かせない。
「大人の小論文講座」で学べることも多いだろうし、もう一度大学で学び直すのも一つの方法だ。しかし、それだけではない。日々の努力が積み重なって初めて、論理的で魅力的な文章を書けるようになる。自分の無力感に打ち勝つために、今日からでも、一歩を踏み出す勇気を持つことが大切だ。
たとえば、今日からでも日記をつけることにしてみる。ただの日記ではなく、その日に学んだこと、感じたことを「論理的に」綴る試み。たとえば、「今日、コーヒーを飲んだ。」ではなく、「今日、コーヒーを飲むことで気分が高揚した。科学的にもカフェインには気分を高揚させる作用があるため、私の経験はそのデータを裏付けるものだ。」という具体的な説明を加える。この小さな練習が、論理的思考を身につける訓練になるはずだ。
さらに、読書もただ読むのではなく、「どうしてこの著者はこのような結論に達したのか?」という点に注意を払いながら読むこと。これにより、作者の論理的な流れを学び、自分の文章に活かすことができるだろう。
そして何よりも、書き直しを恐れないこと。書き終わった文章を読み返し、論理が飛躍していないか、情報が不正確でないか、一つ一つ確認を重ねる。これは、時間がかかる作業だが、質の高い文章を書くためには欠かせないプロセスである。
こうして一歩一歩、文章力の階段を上っていけば、いつかは私も、論理的で心に響く美しい文章を綴れるようになるだろう。そしてその日が来たとき、今の自分を振り返り、苦笑いしながらも達成感を噛みしめることができるに違いない。
文章を書くことは、まるで長い旅のよう。道中で迷ったり、立ち止まったりすることもあるだろう。だが、そのすべてが自分を成長させ、より豊かな表現者へと導いてくれる。だからこそ、この旅を心から楽しむことが大切だ。そしていつの日か、自分の文章に誇りを持てるようになるその日まで、筆を止めずに歩き続けよう。
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