私が占星学の中でも恒星が好きなわけ
小学生の頃から、星を見るのが好きだった。
地元は田舎なので比較的星が見えやすかったし、雪国の寒い夜のシンと冷えた空気の中でみる星はキラキラと音が聞こえるようだった。
占星学を習うようになってから、より一層実際の目で、実際の星空を見たいと思うようになった。
「星空保護区」なるものがあり、街の光が強すぎずに自然の星空が観測可能な地域があることを知り、アウトドアアレルギー(虫苦手。暑いの苦手。夏苦手…なただのインドアの総称)を持つ私がギリギリ行けると判断したのが
長野県の「阿智村」。しかも、「昼神温泉」。
(温泉と神様の融合している観光地って、どうしてこんなに魅力的なんだろう…)
宿から車で20分、そこからゴンドラで20分。
ゴンドラ乗り場で既に、見える星空は普段の倍以上で興奮する。
さすが星空保護区域、無駄な街灯が1つもない。
むしろ街灯が、ない。
真っ暗な山を登るゴンドラの中は、私と夫と息子だけ。
静かな機械音以外は何もなく、登っていく山が影のように見え、だんだんと星空が近づく。
登っているのか、下っているのか、進んでいるのかさえ疑うような、「無」の空間。いつもは喋り倒す夫も、怪獣のような息子も、「無」だった。
まるで天国に登っているかのような感覚。
あぁ、死んだらきっとこんな感じか
すごく孤独だな
あの人もこんな感じだったろうか
最期は好きな音が流れる中にいたいな、孤独だけど一人じゃないって思いたいな
そんなことを考えながら、今まで見送った患者さんのことを思ったりなどした。
星の数ほどの、星の数。
頂上に着くと、星の解説や雪山でのプロジェクションマッピングなどが催されていて、一気に現実感が戻ったのはありがたかった。
本当に死後の世界に行ってしまうかと思った。
(ゴンドラで一言も発さず、微動だにしなかった息子は、山頂に着いた途端に泣き出した。自然への畏怖、だったのね。)
山頂ではGoogle pixelのレンタルがされていた。
いく前までは、この目で記憶することが重要で、記録は必要ない、
なんて思っていた。
星の数とは、このことか…と圧巻するほどの、星の数。
自分の拙い記憶はあてにならない、記録に残しておきたい。
そう思って急いでレンタルした、なんて芯のない俺なんだぜ。
4000億個以上あると言われる、恒星たち。
昔はこれ以上の星空が毎夜見えていたのだとしたら、
どれが重要で、どれが重要ではないかなんての区別は本当にできていたのだろうか。こんなたくさんの星の中から、よくコンステレーションなんて決められたもんだ!とヒッパルコスやプトレマイオスへの疑念と敬意が入り混じった気持ちになった。
太陽系は銀河の中にある。
目に見える星は惑星以外にごまんとある。
サインの意味が大分類の中でも様々な側面を持つのは、それぞれの恒星の意味が混じり合うからなのかもしれない。
惑星だけに囚われたくない、本物の星空にあって目に見える星をもっと大切にしたい、知りたい。
昔の人たちがこの星空を眺めて、願いや思いを込めた神話を知りたい。
そう思って、1つ1つの恒星を学ぶことにした。
これが恒星占星術に進んだきっかけ。
いつか、MCに達成する頃には、恒星と惑星と占星学を融合して宇宙探索できるような、没入感があるプラネタリウム番組を作りたい。
占星学を探求する仲間と共に。
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