珈琲の話をゆるく語ろうかVol.4

珈琲とは歴史の積み重ねだと思います。なにせ日本が侍だの戦国時代だのやってるときからヨーロッパを中心に交易品として旺盛に取引されていたのですから。さて、珈琲がなぜ今のように飲まれ始めたのか、気になりませんか?この謎の解答はトルコとフランスにあるように思えます。トルコそしてフランスの共通点とはなにか?今回はこの話をまとめていきましょう。

世界三大料理って知ってますか?

世界中の料理が今では日本だけで楽しめるようになりました。それだけ世界が狭くなったんだとおもうんですが、どうでしょう?

特に東京23区にはそれこそ小さな国から大きな国の料理が集まっています。代表的なのはフランス料理、イタリア料理、中華料理じゃないでしょうか。

世界3大料理とは何かをご存知でしょうか?フランス料理、中華料理は出てくると思うのですが、あと一つは??そう、トルコ料理です。これを知っている方は結構少ない。

前回の話でイスラム教やキリスト教の伝道師によって珈琲が当時の交易品の一つで、ヨーロッパを中心に広がりを見せたとお話しました。

宗教の伝来は実は商売上手な伝道師によるビジネスチャンスの拡大だったことは歴史が証明していて、イスラム教は大昔から世界中で広まったのでしょうね、東南アジア圏の珈琲の産地にもイスラム教国家があるくらいですから。

トルコでは歴史を調べてみるとイスラム教とキリスト教の交差点のような国で、大きな王国が勃興したかと思えば戦争で勝ったり負けたり、暴君によって国が滅びたりと勃興と排斥が繰り返されていました。

交易品の品物を覗いてみると、シルクであったりお茶、珈琲などの飲料品、そして料理のレシピなんかも交易品に数えられています。

やがてイスラム教国家が落ち着くと、今度はキリスト教国家が勢力を拡大していきます。この時もトルコは交易品の交差点のような役割を果たし、東は中国まで西はイギリスまで交易勢力を拡大していました。いわゆるシルクロードです、年代にして1700年代中期の話ですね。

この頃、フランスでは地中海で取れる海産物や交易品で手に入る食材を利用して、独自の料理文化が華をひらきます。これまで地味だった料理に華やかさが加わったのもこの頃、料理を発明に例えるとわかりやすいのですが、珈琲豆を布で漉して飲む方法はフランスのあるブリキ職人のひらめきによる飲み方だったと書籍には残っています。この飲み方はまさに発明で現代に至るまでドリップ抽出の方法は変わっておらず、その当時に完成した発明だったのです。

と、日本では江戸時代中期頃に長崎の出島で珈琲の交易があったとされています。江戸時代の町民は飲まなかっただろうけど、長崎に駐留していたイギリス人は飲んでたかもしれませんね。

世界3大料理の震源地であるフランスとトルコでは盛んな交易品と料理の発明が繰り返され現代の豊かな食文化に寄与しています。

珈琲が交易品でもともとサスティナブルだった件

珈琲が交易品だった、これは紛れもない事実なのですが、珈琲農園で働く人は豊かだったのか、気になるところです。1700年代中期の珈琲産地はアフリカが中心で、それもエジプトなどオスマン・トルコ帝国の支配地域でとれたため、当時の珈琲農園で働く人達の生活は豊かだったのでしょうか?

間違いないのは珈琲豆の流通が実のままではなく、生豆であったと記録に残っていたため、今のような農園が当時もあったのかと推察できる所。今のような飛行機や高速船での移送は不可能だから、帆船などの遅い船、陸路でもラクダなどの移動手段だったはずなので、常温でも保存の効く珈琲豆は貴重だったと思われます。

ここに交易品として対価を支払っていたなら、世界でもっともサスティナブルな歴史を持つ食料品なのではないでしょうか。

最近ではされフェアトレードだのサスティナブルなどと騒がれてますが、例えば支配地域からの交易品でも搾取はないだろうと思います。だって搾取したら農園の人たちは働いてくれませんから。

世界中に珈琲豆が広まっていることから考えると、現代のような形だけサスティナブルな何かとは違い、フェアで持続的な取引だったのだろうと想像がつきます。

料理とのみ物は切っても切れない仲である

東インド会社を設立したイギリスは世界各地に交易品を運びつつ、支配地域を拡大していました。株式会社を謳いながら国営企業だったので、東は中国、西はアメリカ大陸などに触手を伸ばしていたのでしょうね。

1700年代中期頃は世界中を見てもそれなりに安定していたので文化や料理などが最も発展、のみ物も同じように料理に合わせた発展を遂げています。この頃だと紅茶の発見がありますね。

ヨーロッパ列強の帝国拡大主義には批判がつきまといますが、調味料の発見やスパイスの取引、紅茶のように偶然の産物が生まれたのもこの頃で、決してすべてが悪いわけではないのでしょう。

珈琲豆も産地を拡大したり、東南アジアでも珈琲栽培が始まったりと、たしかに搾取されていて大変な時期だったかもしれませんが、広まった事実だけを見返すとすべて支配が悪いとは一概に語れないと思います。

料理に欠かせないのみ物の数々、特に珈琲は激動の時代から世界中を旅していたのだなと思うと焼いている豆にも歴史が詰まってるのだ、と感慨深く感じてしまうのです。


さて、次回はいよいよ日本の珈琲文化の幕開けをまとめていきます。


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