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幸せになる勇気を持つ

昨日、家庭の中で「イラッ」としたことがあった。

すごくムカついて腹が立って「なんやねん」と思うし、何かをボコボコにしたいような怒りが収まらなかった。

私はずっと自分の『怒り』をコントロールしたかったのだけど、最近『怒りは二次感情だよ』という事を学んだ。最初に湧いてくる土台の一次感情があって、そこから次に『怒り』が湧いてくる。

土台の部分は、心配だったり虚しさだったり、寂しさや悲しみ苦しみ、色々なのだけど、その土台を自分で味わいたくないから、一瞬にして「怒り」というものを発生させて、気づかないようにしてしまう。

でも、怒りをなくそうとすることは、それ以外の感情もなくそうとする行為だから、怒りが発生することを嫌う必要は全然なくて、

気を付けるポイントは、怒りを大きくさせて、周りや自分自身に当たり散らしてしまわないように上手く付き合っていこう!


という考え方は、目から鱗だったし、すごく自分の心が楽になった。

そんなことを学んだり、あとは心理学の『課題の分離』を学んで、『他人の課題と自分の課題をきちんと分けて、他人の課題に介入しないこと』ということも、頭の中においておくようにして、自分の怒りに最近向き合っている。

そんな中、昨日の出来事で発生した『怒り』。

まさに、今まで学んだことを【どう自分の日常で生かすのか】実験です。

自分の怒りをちゃんと見た後、上の二つのことを思ったり、あとは情報空間の粒と波の考え方や次元のことも考えたりして、どう考えても相手がムカつくし、納得いかない部分は多々あるのだけど。。。。。

ここですよね、「あるのだけど。。。。」に、ようやくたどり着いた。

最終的にたどり着いたのは、私がこのまま怒っていて、相手に対して「私、まだ怒ってますから」「あなたが悪いでしょ」と、相手に罪悪感を与えようとすることを、これでもかこれでもか~と今まではしてきたけど、

それって、それをして私は幸せになるのか??


こんな風に思ったんですよね。

ムカつくし、自分が折れるようなことは嫌だけど、誰にでも幸せになる権利があるのなら、こんな態度をしていたら私は幸せにはなれないな、と。

もし、どこかに「それは私が幸せになるために必要なこと」って思えたらいいけど、今回は違う。

と思ったら、どうやってこの出来事から私が成長できるのか、どうやったら気持ちの切り替えができるのか、どうやったら波動の転換が起きるのか、
そんな風に考えるようになって。

そしたら、朝起きて、今自分の何にフォーカスするかを見てそれを味わって、自分が幸せになるために、幸せな時間に身を置くために何ができるか考えて行動していたら、いつものパターンの、怒りの次の日の朝とは違ってたんですよね。




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