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映画ルックバックを教室へ―複数科目教育教材の提案―

音楽の授業で映画「天使にラブソングを」とか、大学の講義で映画「エル・トポ」とかありますが、60分弱の映画「ルックバック」ほど授業・講義に最適なものは無いと思います。現在の商業展開終了後になりますが、以下のような授業設計です。

・めあて:下記宿題に準拠
・予復習テキスト:漫画「ルックバック」
・授業冒頭解説配布:時代背景(附属池田小事件・京アニ事件)と作品背景(作者の無料WEB公開の経緯)
・授業中:映画「ルックバック」を一時間
・宿題:図工なら四コマ、国語なら映画感想文、道徳なら理不尽な死について、美術なら原動画鑑賞文、英語なら Don't look back in anger の解釈文、大学講義なら同時代性や映画化の意義

既に2つも長い感想(1,2)書いてなお、言いそびれた事に「学校・教室」があります。本作は京アニ事件を想起させると一般に言われますが、私は「学校における理不尽な殺戮」として附属池田小事件も同時に想起しました。この事件こそ、教室で共有すべきかなと。

事件を以下で説明します。本作ネタバレしませんが、既読・鑑賞済ならぜひ作品を振り返りながら、読んで下さい。

2001年6月8日、附属池田小学校で小学1・2年生8名が刺殺され、児童13名教職員2名が重軽傷となりました。この無差別殺人犯は裁判で「幼稚園ならもっと殺せた」などと話し、2004年死刑執行されています。

犯人を語る必要は皆無なため、事件の受容(受け止め)について考えます。

特に、犠牲者に寄り添って考える時、未来しかなかった幼い児童らが理不尽に殺されたショック(悲しみと怒り)は大きく、我々個人はこの動揺を持て余す事しか出来ない。一方で事件に対する慰霊的創作は、宇多田ヒカル「FINAL DISTANCE」や松本零士「大YAMATO零号」に見られました。2023年には遺族・関係者らへの取材映画「グリーフケアの時代に~あなたはひとりじゃない~」も公開されました。

このようにして個人が持て余す動揺は、ゆっくりと社会の中の「創作」により静められていくのが分かります。ここで慰霊祭などの儀式なども、昔の誰かの創作・発明だった事に注目してください。この広義の創作に、本作品も含まれています。

その上で、教育のポイントは、「通学」は「将来のために現在を犠牲にする行為」とも考えられる事です。この意味では、もし卒業前に死ぬ運命ならば「学校」は不必要とさえ言えます。だから余計に学校現場での犠牲が悲しく感じられるのです。何故なら、現在を犠牲にした先にあった「将来」を、この子らは一切受け取ることが叶わなかったからです。そして、この視点は、特に本作の「感情移入」に重要だったと思います。

学校不要説は良くあります。知識・技術の習得も独学に勝るものは無い。強制は理不尽で、校則は不自由で、内申書の奴隷で、友人も不要。将来社会で社畜として日銭稼ぐために、青春を犠牲にしている。サボったほうが得不登校で良いじゃないか、などなど。

正しいと思います。正しいから我々は「なんで通学しているのか?」と自問してしまうのです。その答えが無いことに自分で驚いた後、時に「なんで生きているのか?」を自問する事さえある。それも結局、回答を持ち合わせていないと思います。そしてこの問いは、本作では、映画予告にもある「なんで藤野ちゃんは描いてるの?」になるわけです。本作の問答の延長上に、生きる理由を言語化出来ない我々がいる事が、本作に普遍性を与えています。

まとめると、我々個人は、1)事件の動揺を持て余し、2)自問への回答さえない。しかし、そんな我々だから、本作から学べると思います。

まず想像すれば分かる事が一つあります。もし2001年6月8日金曜日の事件が無ければ、犠牲者達は普通に学校に通い続けただろうという事です。普通に楽しく、普通に苦しく、時に普通に自問しながら、教育システムに乗りつづけた。その「教育」は、我々と何ら変わらないのではないでしょうか。ならば我々の通学とは「犠牲者達に存在し得た通学」のはずです。そして同様に、我々の日常とは「犠牲者達に存在し得た日常」なのです。

ありふれた「死んだ人の分も生きる」という考え方は、事件の動揺を持て余す我々を静める作用を持つ。むしろ犠牲者に寄り添って大きく動揺した人ほど、通学理由や生きる理由に、言語化不要な(だからこそ強力な)回答を見いだせる。なぜなら「犠牲者の死の瞬間」に寄り添える人は、その次の一歩として「犠牲者に存在し得た未来の姿」に寄り添えるからです。単に日常を生きる姿か、通学する姿か、どんな姿を心の中に存在させるかは、人それぞれです。ただ、そうやって犠牲者の未来が心の中に存在し始めた時、動揺していた人は、どうするのか?それが本作ラストから学べることだと思います。

以上、ネタバレ無しで頑張って説明しました。

単に一時間映画という特性を学校教材で活用し、例えば「四コマ(図工宿題)」やらせるだけでも、もちろん良いのです。クラス全員の四コマが教室後ろの壁に整列して掲示される様子や、その壁の前でワイワイする児童達の姿を想像しただけで、本作が刺さった私は泣けてきて、涙腺壊れたかと驚きました。きっと本作が「絵描き」賛歌だからでしょうね。

感想文も刺さらない派と刺さる派に分かれて良いと思うのです。さらに本作は「教室」賛歌にもなっている(これを語るとネタバレになるので・・・)

見て(ルックして)欲しい背景(バック)を描く本作だからこそ、例え作者想定外だとしても、附属池田小事件という時代背景を教室で共有した上で、映画ルックバックを鑑賞させる方が、より感情移入出来るし、より教材価値が高まるというのが、私の提案です。

そして何より、後世に伝え残す事が、犠牲者達の鎮魂になると思いました。

賛同いただける方はスキボタンを押していただくと、本当に実現するかも知れません。不可能ではないと思います。私の国語授業では、漱石「こころ」のKを考察していたぐらいなので。


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