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先生の「作品」に寄り添う (5/6)セクシー田中さん問題

「人の命」と「続作の完成」が永遠に失われる事になったセクシー田中さん事件。ここまで第三者報告が必要と述べました。最後に、日本社会に著作人格権の保護意識が必要だと思います。

私は、原作漫画は「セクシー」という単語を再定義し未来に残し得たと思います(例えば単語「団塊の世代」が残るようにです)。命の喪失が親族を傷つけるように、創作物の喪失は文化を傷つける。将来の文化を守るのは人類の利益のためです。人類利益のためにこそ、その根源にある個人の創作意欲が大切で、しかしそれは傷つきやすく、それを守る楯が、著作人格権やその中の同一性保持権です。この著作人格権は「作者の精神を守る」と教科書で説明されますが、まさにそのような原作者の声が報告書にあります。

脚本家へ向けた想い〈修正について〉:『「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つける事をしっかり自覚して欲しい』(出版社報告書p.35)

後ろに「自分を守る」と続くため、上記引用は「原作者自身が傷ついた」と読み解くべきです。つまり改変(=同一性保持権侵害)され原作者が精神的に傷ついたという教科書的な事例です。読者・視聴者の全員が学ぶ必要があると思います。

現実は、想いは無視され改変は止まりませんでした。つまり、切実な想いを綴った文書が、全くの無駄だった。これは単に、人として傷つく。さらにこの後にも不誠実が続き、命さえ傷つく事態を迎える事は既に述べたところです。

話を「同一性保持権」に集中するため、ここで類例を紹介します。16年前に漫画「おせん」の原作者がドラマ化作品を見て「原作とのあまりの相違にショックを受けたために創作活動をおこなえない」と連載中断しました(参照wikipedia:おせん)。これは幸い連載再開となりましたが、完結を余儀なくされる例もあります。27年前に漫画「いいひと。」の原作者がドラマ化の改変で終了を決めたとし、「皆さんと作った大切な作品を守れなくて、申し訳ありませんでした。」と謝罪しました( http://www.sinpre.com/kikaku/aisatsu.html )。

類例は多数あったが見えないだけと思います。実際、今回も原作者が執筆不能になり1回休載を要望(12月31日 出版社報告書p.52)していますが、部外者には見えない事でした。しかも改変部分は原作者がしっかり修正して放映されていますので、改変の事実すら見えない。実際には重大な改変(例:失敗メイクに込めた「年齢の壁」。出版社報告書p.29)から、些細な改変(例:ハムスター逃走範囲100m→200m, 出版社報告書p.30)まで、様々です。これら改変は「インテリジェンスが乏しい」(松谷創一郎氏 TBS Podcast 2024年6月7日)と評されています。

以上が、改変で作者が傷つく例でした。その楯が、著作人格権の同一性保持権です。出版社報告書では登場しますが、TV局報告書には一切登場しません。あまつさえ「著作人格権を行使しない」という脚本家向け契約書を紹介し、TV局と弁護士沙汰になった脚本家を黙らせる方法について考察する始末です(TV局報告書p.70)。なぜなら組織は個人の権利より企業利益を優先するからです。

利益追求も顧客満足を目指す点で悪ではありません。今回、原作者にも脚本家にも不誠実だったTV局は、しかし「視聴者のためだ」と言えてしまう。この圧倒的多数の満足を守る「善」なる組織と対立する形で、作品を守る一人の作者が存在します。だからこそ、さらに大きな「人類利益」を考えて、作家を法的に保護するわけです。しかし実際に、我々個人が顧客として善なる組織側に守られた時、そして改変を改善と感じて満足している時、見知らぬ作者は「難しい人」に見える。この視点は、例えば「おふくろさん騒動」(wikipedia参照)が近いと思います。今から振り返れば、同一性保持権を侵害された作者に世間(=社会全体)が寄り添い、その世論がマスメディアに反映されていれば、騒動は早期に終わっていた気がします。生きている内に和解する事こそ、「おふくろさん」という楽曲が将来に残る上でベストだったと思います。

話を戻すと、「ごめんなさい」と言い残した原作者に「こちらこそ、ごめんなさい」と謝罪したいのに、何を謝罪するのかが課題でした。私の答えとして、「著作人格権を知らぬ日本社会」を謝罪すべきだと思います。我々ネット読者が「人類利益・文化保護」という大上段の大目標を掲げ、大企業・巨大市場・世論から、小さく傷つきやすい個人の吹けば飛ぶような「創作意欲」を守る。改善・改悪という受け手の主観ではなく、作者の主観的満足こそを最優先にする。その帰結としてこの社会に咲き乱れる創作物を愛でながら、ほんのひと握りが将来に残る事を期待する。そういう国民性が日本の文化発信力を高めるなら、これまで傷ついてきた作家達の魂も、あるいは不幸な結末を迎えた作品達の魂も浮かばれると思います。

サリのダンスは田中さんの生き様でした。原作者の漫画家としての生き方に、ネットの全ての人を変える力があると信じたいと思います。

まとめます。

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