「最弱テイマー」あるいは外的物語と内的物語について

いわゆる「なろう系」※作品ではタイトルで話が大体説明されていることがよくある。
ここで扱いたい2024年冬アニメ『最弱テイマーはゴミ拾いの旅を始めました。』も一見その手の作品で、更に言えばすぐ強い魔物と出会って「最弱」でもなくなるんだろうなという程度は簡単に想像される。結果的には『勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う』(2022秋)など※※と近いノリではないか、と。
だが実際にはそうではないし、更に言えばそうした外面的な筋書きでない部分にこそ魅力があったりする、というのがここでしたい話。

※「なろう系」はここでは転生ファンタジーの、典型的にはゲーム的システムなどを備えた物をざっくり呼んでいる。
※※他に、これはもう元から本人が強いのだが『聖女さま? いいえ、通りすがりの魔物使いです! ~絶対無敵の聖女はモフモフと旅をする~』(アニメではないがコミカライズされている)とか。

そう、こうして想像されるストーリーの流れは物語の半分でしかない。もう半分は心の中にある。
「最弱」「追放された」「旅をする」こうした事柄は全て物理世界のことで、内面には触れていない。その外的物語が面白いということも勿論ある(例えば内政系はその面が強いかもしれない)が、多くの物語にとって心の中=内面で展開される内的物語は欠かせない要素だろう。
(物語論的に適切な言葉を知らないので、ここでは造語で外的物語・内的物語と言っている。)

『最弱テイマー』で言えば、そもそも外的物語も類作から想像されるそれとは違い、主人公アイビーは(少なくとも戦闘では)全く非力なスライムを仲間とし、強力な魔獣も懐いてくるが特にそれに頼る場面もほぼ無い。それでも前世の知識などで活躍していく訳だが、第10話あたりで「前世人格の囁き→口に出す→大人が聞き返す」というシークエンスが3回もあったように、正直言って外的物語が良く出来ているとは評価し難い部分がある。
それでも私が良い作品だと思ったのは、内的物語の面で「やるべきことをやっている」からだ。

印象的なシナリオに必要なただ一つの条件とは、テンプレでないことに尽きる。
自己犠牲など良い例で、人の死という本来劇的なものが、あまりに頻出するために大きく陳腐化してしまった。「自分が犠牲になる」と突然言い出したキャラクターがいたとき、何故そうしようと思ったのか、という真剣な問いはあまり出るものではない。
人間には記号というシステムがあり、似た物事を同じシンボルに結び付けて素早く理解する能力がある。「あぁ〈自己犠牲〉ね、分かった分かった」という訳だ。これを防ぐには全くの新奇性を追い求めるか、あるいはテンプレに見えないだけの内実を用意する必要がある。

改めて『最弱テイマー』に戻ると、内的物語のクライマックスは明らかに最終話の星(能力等級)のカミングアウトにある。これは前の街では言えなかったこと、他人を信頼すること、自分自身を受け入れることであり、出身村で負わされた心の傷を解す第一歩に他ならない。
外的にはその前に犯罪組織を倒すという山場があるが、それは構成上むしろ内的物語のため、人々と信頼関係を築くためのステップとして配置されているようにも見える。

内的物語の際立ちは振り返ってみると第1話からはっきりしている。
物語上の起点となる村からの追放は明確に描かれる訳ではなく(それは第3話まで持ち越される)、前世の声と話したりスライムに語り掛けたりの他には会話が一切無い、モノローグのみでの構成となっている。以降もそうやってアイビーの心情が詳しく描かれることで、「最弱」が単なる記号ではなく、アイビーの言動を縛る心の傷となっている状況が分かってくる。その理解の上でこそカミングアウトの決断が大きな意味を持つのだ。

なろう系においてタイトルに表れがちな外的物語の類型性に対して、内的物語がこうして綺麗に構成されているのはなかなか興味深い。
「なろう系」というジャンル自体が(ライトノベルの系譜として)比較的男性向けで、主人公も男性が多い一方、『最弱テイマー』が女性主人公であることは関係しているのだろうか。男性主人公で内的物語が明確(内面的な転換点やその契機がはっきり配置されている)というと、一つには『Re:ゼロから始める異世界生活』が思い浮かぶがあまり適切な例という感じでもない。

何にせよこうした内的物語を秘めた作品が存在するということは、タイトルだけで作品を分かった気になるのがいかに無意味なことかを改めて思い出させてくれる。人よ、『幼女戦記』を観よ。『転生王女と天才令嬢の魔法革命』を観よ。何事もそれからだ。


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