融解


 すっかり液体になった豊田君を二重にしたビニール袋に詰めて、クーラーボックスに入れた。豊田君は箱の形に沿って、赤黒い色をした姿を変えた。ひとまずは、これでいい。
「あ。クソ。川きくの忘れた。」
橋場さんはなんて言ってたっけ。適当な橋から流せとか言っていた気もするが、いや、変な所にこだわるひとだから確信も持てない。ため息をついてから熱くなったガラケーを取り出し、電話をかけた。薬剤の匂いが充満した部屋の空気を吸うと、脳をキリで刺されたみたいな鋭い痛みがした。
「こんにちは。お疲れ様。どうしたんだ。」
橋場さんがテンプレートの言葉で電話に出た。
「液体、なったけど、どこに流せばいい。ですか。」
頭が痛い。
「言わなかったね。その辺のマンホールに流して。」
「え。っと。そんなの出来るか?」
「できるよ、雨降るから。ろうと使ってさ。一丁目のコンビニの裏なら防犯カメラないから。最後一応水で流してね。」
「わっ…かりました。」
変なやり方。頭が痛い。
「あとさ。終わったら家来て。」
「何でですか。」
「新しい仕事。」
「はい。」
食い気味で電話を切られた。

 見慣れた壁紙に、見慣れないポスターが貼ってあった。女性アイドルグループの集合写真だった。
「橋場さん、こんなの好きでしたっけ。」
「ああ、これ。貰ったから。」
「てことは、好きでもないのに貼ってるんですか。」
「まあ。」
ダウト!俺はテレビデッキの上のCDを見つけてしまった。
「お、これ。CDも貰った感じですか。」
「そうだよ。もう要らないと言われてね。私は友人にゴミ箱扱いされているんだ。」
「へえ。」
普通要らないCDは売るとかするけどな、と思いながら、俺は橋場さんの微妙にユーモアな言い分に素直に相づちを打ってあげていた。
「俺がゴミ箱扱いしたら怒りますか?」
「何を言うんだ。唐突に。」
「橋場さんに、要らなくなった写真とか、そういうの、全部押しつけたら嫌ですか。」
「気持ちのいいものではなさそうだ。」
橋場さんが分かりやすく顔を歪める。頭痛と暑さでおかしいことを訊いている自覚はあったが、反応が面白かったから続けた。
「俺、写真嫌いなんです。橋場さん欲しいでしょ。」
「は。何で私が君の写真なんて。」
「俺の全裸の写真とか、要ります?昔撮られたんですよ、学校で。」
「どういう」
「それに、おばあちゃんの葬式の写真とかね。あれ何で現像したのか思い出せないんですけど。」
「要らないよ。そういう話をきくために呼んだんじゃないからね。」
そりゃそうだ。俺は黙った。
「新しい仕事だけど、今度は3人だよ。出来るかな。」
「お代が弾めば。」
「また薬で溶かしちゃって。廃棄も同じ方法で。」
「はい。」

 橋場さんはグラスを片付けて俺を帰らせる準備を始めたが、俺は何だか、部屋から出ていきたくなかった。
「橋場さん。」
「ん。」
「俺、どうしたらいいんですかね。」
「えっと。処理は今まで通」
「そういうんじゃなくて。俺、なんか、色々終わってて、でも軽率にこういう世界に足突っ込んじゃって。」
嫌われてもいいから、今、話したかった。
「それは、私もそうだよ。」
「橋場さんは、何か違いますよ。今まで正しく生きてきて、それが崩れて、ここにいるんだから。俺は最初から何もしてない、から。」
次から次へと言葉がゲロみたいに出てくる。汗が首を伝ってTシャツの中に入っていくのがわかる。
「橋場さん、仕事サクッと終わらせちゃうじゃないですか。相手が誰であろうと、なんも感じずに、うろたえずにこなすじゃないですか。」
「そう見えるかもしれないね。」
「俺、それの、その中の一人だったらどんなに幸せだったかって、よく考えるんです。」
「つまり、私が、君を殺したらって?」
「はい。思い返したら、俺ずっと、俺をぐちゃぐちゃにするものを探してた。俺は、一回壊されといた方が多分、良いんですよ。」
「私は壊せないよ。君。」
「いや、俺きっと、橋場さんに刺されたら、ぐちゃぐちゃになります。橋場さん、いいひとだから。」
目の前が何故かぼやける。
「そう言わないで。告白かい。」
頭が痛い。
「はい。」
俺は、自分が汗が涙かも分からなかった。全部液体になったみたいに、それこそ、全身を薬剤と一緒にかき混ぜたみたいに、どうしようもなく形がなかった。

 肩に冷たさを感じる。橋場さんのでかい手に掴まれていた。介抱されてるみたいで情けなかった。
「私は君が思うほどいいひとではないよ。」
「それでもいいです。俺、うわあ、ごめんなさい。」
「今日どうしたんだ。」
「今日。っていうかいつも、心配で。俺が今までしてきたことばれたら、橋場さんのこともばれて、捕まるんじゃないかって。」
「君がバレても、関係を切るだけだから。私は捕まることは無いと思うよ。だからこそデータが消しやすいガラケー使ってるんじゃないか。」
「俺、言いますよ。橋場秀次とつるんでやりましたって。ヤクザの死体溶かして捨ててましたって。そしたらどうしますか。」
「私を、怒らせたいのか。」
「だって。橋場さん、あんた、酷いよ。裏で人殺しといて、俺の前ではこんなにやさしくて。だから。死刑になってダッセー死に方して欲しいんだ。」
橋場さんは、ずっと僅かに目を逸らしていて、狂うほど冷たい。
「私は、意外と、自分の罪の意識はあるよ。君はいかに私が残酷にやってるかってのを強調したいようだけど。それに、バレて欲しくはないんだろ?ずっと不安だったって。」
「ふは、確かに矛盾してますね。この世界も仕事も関係も、誰にも知られたくないのに、橋場さんを死刑にしたいって心から願ってる。言ったでしょ、俺おかしいんです。」
蒸し暑い空気が俺と橋場さんとを仲介して、互いの熱を伝えている気がした。互いのというか、俺の熱の一方通行だが。
「橋場さん、俺、好きです。でもね、死んで欲しい。」
「君は殺されたいと言ったり、死んで欲しいと言ったり、複雑だね。私は、好きとか愛とか、そういうものは、昔に消えてしまったから、悪いね。」
「俺に応えようとしなくていいですよ。どうせ、俺らの犯罪なんか死ぬまで隠し通すことなんてできないんですから、いつか、ヤクザだか国だかに殺される時が来ます。そのとき、少しだけ、俺を思い出してくれたら、嬉しいです。」
「思い出すだろうね。すごく恐ろしいから。」
そんなことを言いつつ、彼は微かに笑っていて、今突然首を絞めて、本当に恐ろしい俺を見て欲しい気もした。肩の荷はおりない。俺は橋場さんの手に、頬をのせた。その手の、血が通っている温度だけが橋場さんを人間たらしめていると思った。





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