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はじめまして

どうも、煙草やめ太郎です。

今回、noteを始めたのは禁煙チャレンジで気付いたたくさんの事を書き記すためです。
2021年6月23日の喫煙を最後にノンスモーカーとなりました。
ただいま禁煙6日目となります。

おいおい、6日目で禁煙成功した気になって大丈夫かよ?そんな声が聞こえてきますね。
皆さん、安心してください。大丈夫です。
もし失敗していたら、このnoteは世から消えるからです!!
皆さまの目に留まったということは、禁煙は成功しているのです!なんて。

ほんとうは、成功するかどうかのハラハラ感も含めて楽しんでいただけたらなと思っています。
まだまだ離脱症状はおさまりませんが、これからも煙草の事を考えながら続けたいと思います。
誘惑に負け、失敗に堕ちるのも一興です。

さて、初回の記事という事で簡単な自己紹介をしたいと思います。

年齢は10月生まれの41歳。(今年42になります)
結婚していて子供は6歳と3歳。
煙草は大学生で20歳になった時に、友人のすすめで始めました。
喫煙歴21年の間に病気から禁煙を試みたのは2回。
どちらも6ヶ月ほどで失敗しました。
銘柄は最初はマルボロメンソールライト、病気になってからはLARKのメンソール1mgにしていました。
上の子が産まれてからはプルームテックと紙巻きたばこの併用。
下の子が産まれてからはgloのみに変更しました。

今思えば軽い煙草に変える事も、加熱式に変える事も禁煙には何の意味のない事なんですよね。
少しでも健康を考えているつもりで変更していましたし、
それができる自分は「やめようと思えばいつでもやめれる」と信じていました。
この辺は後々まとめて記載しようと思います。

ここからの内容は「アホか!」と言われて仕方ないものなのですが、
赤ちゃんの頃、肺炎で入院し死にかけた経験があるらしいです。
それからの子供時代はずっと気管支喘息でした。
(当時よくわからず機関車ぜんそくだと思っていました。)
昔の日本は男性の喫煙率が8割ほどだった事もあり、多分に漏れず父親が喫煙者でした。
今考えると、ぜんそくの子供の前でよく吸えるな!って思いますね。
(いや、自分もぜんそく持ってて煙草はじめるな!)
もしかしたら子供のころから副流煙でのニコチン中毒だったのかもしれませんね。

気管支喘息は大人になる頃にはほとんど症状はなく、寒い冬の朝に少し喘鳴が出るくらいでした。
そんな肺を持っていると自覚していながら、この歳まで喫煙を続けてきたのです。
自分の自堕落な性格とニコチン中毒の恐ろしさを強く実感するエピソードだと思います。

長くなりましたので、自己紹介はここまで。
次は禁煙に至ったきっかけを書きたいと思います。

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